霰です・・・。んちゃ、とかは言いません。・・・よろしく。
霰とは、艦隊これくしょん~艦これ~に登場する大日本帝国海軍の駆逐艦朝潮型9番艦「霰」(10番艦とすることもある)をモデルとしたキャラクターである。
CV:宮川若菜、イラスト:コニシ。
え・・・?何・・・?この概要は・・・。霰が何かしたの・・・?
朝潮型の九女。図鑑でも本人が言っている通り朝潮型最後の建造艦なのだが、この下には妹の十女「霞」がいる。
これは後で史実の項でも述べるが、様々な理由から計画上の9番艦「霞」の竣工が遅れ、その間に計画上の10番艦「霰」が先に竣工と、起工と竣工が逆転したことが原因である。
両艦の正しい順番には諸説あるが、艦これでは図鑑の並び順から霰を9番艦としているようなので以降本記事ではそちらに従う。
透明感のある外見や、ここまで来ると「囁き」に近い口調からもわかるように非常におとなしい性格の艦娘である。
朝潮型特有の真正ロリな服装にこの性格と、一見頼りなさげに見えるがやはりそこは艦娘。攻撃時に「砲戦より・・・水雷戦ですよ?」とさりげなく得意分野をアピールして来たり、つつけば最初は「司令官・・・?何を・・・するの・・・?」と戸惑っていても最終的には「あまり魚雷には触らないで・・・」と自己主張をするなど、儚げな印象ながら基本的に一本芯は通っているようである。
そしてMVPを取ると「え・・・?何・・・?この拍手喝采は・・・。霰が何かしたの・・・?」と周囲からの祝福に戸惑う一面も。可愛い。
だが、この霰に関してはそのキャラクター性よりも、加入時セリフにある「霰です・・・。んちゃ、とかは言いません。・・・よろしく。」という同名キャラネタの方がやはり圧倒的に有名。わざわざ言うまでもないことだが国民的漫画「Dr.スランプ」の主人公である少女型ロボット「則巻アラレ」が元ネタである。
そしてそういうネタを振っておきながら改造を施した際、またはアイテム拾得時や遠征出発時に「んちゃ。」と口走ることもまたあまりにも有名であろう。案外お気に入りのネタなのだろうか。
2017年12月22日に初の限定グラフィックであるクリスマスmodeが実装。大きな袋を携えた王道のサンタクロース姿を披露した。
2023年秋の舞鶴リアイベに際し霰私服(里帰りmode)が公開された。以前の呉リアイベでの霞里帰り私服の系譜に続くものとして好評を博した。なお、同時に初雪・敷波の描き下ろしも公開されている。
改二・・・いいの?いいかも
2018年4月6日のアップデートで改二が実装。改装レベルは63と姉妹で最も低いレベルで改装可能だが、改装設計図が要求されるので注意。
朝潮型姉妹改二共通のサロペットスカート姿で霰改二はスカート丈が姉妹でも最も長めになっている(ひざ丈が隠れるほど。ちなみにもう一つの特徴である探照灯型ブザーは装備していない)。
最大の特徴は何といっても霰のトレードマークである帽子は継続して被っている事であろう。同じデザインの帽子を大潮改二は外していたので霰ももしかしたら・・・と危惧していた提督もどうか安心されたし。
追加セリフとしては以前よりも主張するようになり(「霰もやります…そのための改装、今は強いよ…霰」など)また、霞を「霞姉さん」と呼んで親しげに接するなど姉妹艦との遣り取りも見られるようになっている。
ステータスは概ね朝潮型改二共通の回避高めのバランスの良い能力であり、更に霰の場合は対潜値が姉妹の改二で最も上がっており、対潜特化した朝潮改二丁の次位になる(LV99の時点で「81」。設計図を要求される改装は概ね史実ifが多いため、後述の史実からも対潜対策を強化したとも)
初期装備にもある通り大発動艇系統も全て装備可能。夜戦火力も「153」と現時点での姉妹(改二組)では丁度中間。
霰の改二実装で初期からの朝潮型駆逐艦は全て改二になり、すなわちコニシ氏担当の朝潮型姉妹は全員改二が実装された。同月23日に陽炎改二翌5月15日には不知火改二も実装され、第十八駆逐隊も結成時編成が改二でそろい踏みした。
陽炎小説版・・・ありかも
スニーカー文庫から発行された小説版『艦隊これくしょん-艦これ- 陽炎、抜錨します!』でも、第十四駆逐隊のメンバーとして登場。
史実通り、「陽炎」と同じ第十八駆逐隊にいたため、顔見知り同士。
第十八駆逐隊の解隊後、寡黙故に配属希望も特にしないで黙っていたら、問題児だらけの第十四駆逐隊に配属されてしまった。腕は確かであり、「陽炎」が、元々顔見知りということを差し引いても、隊内で最も信頼する一人だが、ほぼ感情表現をしないので、何を考えているか掴みにくい。
なぜか、睦月型の「長月」にやたらと懐かれている。
概要より・・・史実ですよ・・・?
ロンドン海軍軍縮条約下で、あくまでも条約に沿った形で保有量を満たす第二次補充計画、通称『マル2計画』。朝潮型はそんな補充計画の中で「条約破棄を前提とした大型駆逐艦」として設計された。
朝潮型は優れた攻撃力を持ち、机上の計算を覆す良好な速力と航続力を持った優秀な駆逐艦であった。
しかしそれは現場での認識であって、用兵側では朝潮型の計算上では35ノットに満たない低速と強度にこだわった結果の重量による航続力の低下が常に懸念されていた。そして実際にロンドン海軍軍縮条約を破棄したことに伴い、軍の補充計画は第三次補充計画、通称『マル3計画』に移行。朝潮型の設計を洗練させ、強度を維持しつつ速力や航続力を向上させた後続艦、『陽炎型』の建造にシフトしてゆくこととなる。
「霰」はそんな情勢下、朝潮型並びにマル2計画最後の建造艦として1939年4月、舞鶴海軍工廠にて竣工した。
と、なるはずだったのだが、起工順から本来は姉であるはずの朝潮型9番艦「霞」の竣工が遅れ、その間に「霰」が竣工。結果、起工順と竣工順が逆転。それに伴って竣工日を基準とした場合の艦級が入れ替わり、朝潮型とマル2計画最後の建造艦でありながら朝潮型としてもマル2計画としても妹がいるという非常にややこしい事態が発生した。
就航時には妹の「霞」、陽炎型の「陽炎」「不知火」とともに第十八駆逐隊を編成。最新鋭艦で編成された駆逐隊であったため、水雷戦のエリートである第二水雷戦隊に配属された。真珠湾攻撃には南雲機動部隊の護衛として参加。以降南雲機動部隊と活動を共にし、主に空母機動部隊の護衛を担当した。
1942年以降はラバウル攻撃、ポートダウィン攻撃、ジャワ南方機動作戦、セイロン沖海戦等引き続き機動部隊の護衛として活躍したが、運命のミッドウェー海戦では攻略部隊に配備。結果、真珠湾から長きに渡って随伴してきた空母機動部隊を守るどころかその最期すら看取ることができなかった。
ミッドウェー海戦敗戦後、帝国海軍は北方へ向けて進出を始める。第十八駆逐隊も6月末にキスカ島へ向かう「千代田」(この時点では、艦これでいう「千代田甲」)と輸送船の護衛を命じられた。なおこの時、「陽炎」は別の任務で離れており、護衛任務は残る3隻で行っていた。
1942年7月5日、キスカは濃霧に覆われていた。入港は不能と判断した第十八駆逐隊はキスカ沖で霧が晴れるまで仮泊することを決定する。
しかし、そこには米潜水艦「グロウラー」が音も無く忍び寄っていた。
最初に標的となったのが「霰」だった。キスカを覆う霧が晴れ始めたため入港を試みようとした直後、グロウラーからの雷撃が「霰」の左舷に命中。第一魚雷発射管が吹き飛んだ。
攻撃成功を見て「グロウラー」はさらに標的を「不知火」へ変更。それに続けて「霞」も被雷。折悪しく投錨中であったため爆雷による反撃どころか逃亡すらも行えず、「霰」は魚雷を撃ち込んできた「グロウラー」へ残された第二魚雷発射管と主砲で反撃を試みる。
当然ながら潜水艦に水上艦用装備が通じるはずもなく、むしろ「グロウラー」の不興を買ったのか再度魚雷が「霰」に向けて撃ちこまれた。この雷撃により「霰」の艦体はV字状に折れ、そのまま轟沈。「霰」は朝潮型の末妹に近い艦でありながら、最初の沈没艦となってしまった。
この襲撃により、「霰」艦長の緒方少佐は九死に一生を得た[1]が、104名の乗員が「霰」と運命を共にしている。
また、この顛末により「陽炎」1隻しか稼働できる艦がいなくなり、作戦行動をとれなくなった第十八駆逐隊は解隊。さらに、「第十八艦隊に油断があった」と海軍上層部からの責任逃れ糾弾を受け、「霞」に座乗していた艦隊司令官が責任を取る形で切腹自決に追い込まれている(幸い一命はとりとめ戦後を迎えている)。
それから時は流れ、2006年8月、別件(太平洋戦争中に沈没した米潜水艦「グラニオン」の探索)のためにキスカ沖の海底をソナーで調査していたアメリカの探索船「アクイラ」が、海底に横たわる旧日本海軍の駆逐艦を発見した。
それこそが、62年振りに発見された「霰」の姿だった。
真っ二つに折れた艦体、そしてその前半分はほぼひっくり返っていたが、そんな中でも第一砲塔は直立していたという。それはとりもなおさず、沈没する直前まで相手に向けて砲撃を続けていたことを、図らずも立証していた。
「霰」は今も、キスカ沖の海底で、静かに眠り続けている。
関連動画、抜錨します
司令官・・・、関連静画を・・・描くの?
んちゃ。
この後は・・・関連項目だから・・・
朝潮型姉妹 / 朝潮型駆逐艦 | ||
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脚注
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