懲罰的損害賠償(英 Punitive Damages)とは、手痛いしっぺ返しである。
概要
主にアメリカからのニュースで、コーヒーがこぼれてやけどしただけでメーカーが数百万ドルという損害賠償を支払うことになったという話を聞いて、うらやましいと思った驚いた経験はないだろうか。(なおこの事件裁判官の判断で減額され、実際に受け取れたのは6000万円程だったとか)
これは、法に詳しくない人からみても明らかに発生した損害を大幅に上回る金額であり、どうしてこのようなことが認められるのか不思議に思った人もいるかもしれない。
これは懲罰的損害賠償というアメリカをはじめとした英米法採用の国々ではしばしば認められている考え方であり、強い非難に値する行為を為した加害者に対して、裁判所や陪審員の裁量によって実際の損害に多額の制裁金を上乗せするという仕組みから発生したものである。但し現状国家賠償にも認めている国は皆無の様である。
我が国においては、民法709条において実際に生じた損害に応じて賠償するという実損額に基づいた損害賠償請求のみ認められており、このような考え方は基本的に多くの判例で明確に否定されている(京都地裁平成19年10月9日など)。これは、民事裁判はあくまで損害の回復(原状回復)を目的としたものであり、制裁と予防策については刑事法や行政法の領分という考えに基づいている。元々我が国の民法はドイツやフランスなど、刑事責任と民事責任を明確に区別してる大陸法の影響が強いことも原因としてあげられるだろう。(ただし大陸法系と言われる韓国、台湾、フランスでも導入されている)
但し、マンション建設において故意に施工業者が協定を破って工事を行った場合において、懲罰的損害賠償を認めた事例があるなど、全くないというわけでもない(京都地裁平成元年2月27日判決)。
また、アメリカで懲罰的損害賠償が認められた事例において、我が国の裁判所に(強制執行などの関係で)訴訟が持ち込まれた場合においても、懲罰的損害賠償に相当する部分は認められないという判例が示されている(最高裁平成9年7月11日判決)。
アメリカにおける運用
もともとは18世紀後半の英国発祥の考え方であり、英国の植民地であったアメリカにおいて特に発達した。英米法はコモン・ローと呼ばれる慣習に根ざした、法典よりも裁判所の判例を重視する傾向にあったため、成文法による制約が大陸法に比べそこまで強くなかった故に生まれた考え方の一つである。
また、アメリカでは民事訴訟で国民が直接判決に関与する、陪審員制度が用いられているという側面も大きい。同国では損害賠償の算定基準が明確に定められていない事も手伝い、弁護士の口車にのせられて懲罰感情から過大な損害賠償額が算定されるという筋書きである。有名な事例としては冒頭にあげた1992年のマクドナルド・コーヒー事件や、1962年のフォード・ピント事件などがあげられる。
なお、よく引き合いに出される事例として猫を電子レンジに入れて死亡させた場合において、懲罰的損害賠償がメーカーに命じられたという話がでてくるが、あれは訴訟大国のアメリカを皮肉ったジョークであるため、実際の事例ではない。
とはいえ、1980年代から少しずつその行き過ぎについて指摘されるようになり、ジョージア州やコネチカット州など一部の州では絶対額の制限を設けたり、実損のn倍まで認めるなどのやり方で抑制する法律が作られていった。州法で制限することで、適正手続の保障という合衆国憲法の原則に合致するように務めたわけである。
しかし、被害を受けた原告側も黙っているわけではなく、合衆国憲法や州憲法への違法を唱えて抑制をはずさせようとする動きもあるなど、議論が続いている。
議論
肯定的意見
- 多額の制裁金を課すことによって、企業の不法行為を抑制できる
- 実損額で補いきれない損害を補填することができる
- 企業に制裁を課すことによって、被害者の報復感情を充足させられる
- 被害者の地位向上につながる
- 裁判を起こす権利を強力に保障できる
- 原告に実損額以上のインセンティブを与えることは、法の目的への貢献を促し、悪事が抑制される
- 書かれたこと以上の制裁について大きな制約がかかるという成文法主義の弱点が補完できる
- 警察力を使わずに不法行為を抑制できるので、行政コストの圧縮になる
- 被害者も店先で騒ぐよりも、訴訟で賠償金を貰おうという発想になるのでカスハラの抑制になる
- 訴訟件数が多くなる分、弁護士や裁判官も多く必要になるので法曹人口の上昇圧力になりうる
- 訴訟相手が富裕であればそれだけ弁護士もつきやすくなるので、資力格差による不利を抑止できる
- 相手方の関係者や所属団体も巻き込みやすくなるので、実際の連座制に比べれば不徹底ではあるが、連座制に近い効果を発揮できる(行為者処罰の原則にも反しない)
- 一個人でも怒らせれば高額賠償に繋がるので、個人主義社会の維持発展に有利になる
- 訴訟が多くなれば国や企業は問題改善に努めざるを得なく成る状況も増え、社会制度や社会環境の改善が行われやすくなる(仮に原告敗訴となった場合でも同様の訴訟が相次いだり世論の同調が得られれば措置が行われることも期待できる)
否定的意見
- 多額の損害賠償目当てのギャンブル的訴訟の誘発(フリーライダーの懸念)
- 弁護士費用をはじめとしたリーガルコストの上昇(ただしこれはこれに限った問題でもない)
- 虚偽告訴の増加を招きかねない
- 虚偽ではなくても言いがかり、逆ギレレベルの訴訟も誘発されかねない
- そもそも実損額を超えた制裁金は不当利得ではないのか、それほどの非難に値する行為をとったのならば、民事訴訟ではなく刑事訴訟の問題ではないのかなど法の仕組み上からの問題
- 最初の原告だけが損害賠償を受け取れるのは不公平だし、かといって限定をなくしたら多重処罰の懸念が発生する(アメリカでは多くの被害者が救済できるよう、クラスアクションという集団訴訟制度を取り入れているが、訴訟費用や弁護士費用の負担が軽くできる上に、消費者救済に一定の効果がある一方で、クラスアクションを認めるかどうかが裁判所に委ねられてるため、認められないリスクがあることや、クラスアクションの対象が極めて広範囲なことから弁護士が訴訟を煽ったりする事例が見られるなどの問題点がある)
- 懲罰的損害賠償の穴埋めとして企業は商品価格に転嫁できてしまうので、巡り巡って消費者は割を食うことになる
- 知財にも認容される場合は、訴訟リスクを恐れて表現の幅が萎縮される可能性がある
- 子どもや障がい者の行為にも認容される場合は長期的にはさらなる少子化や、優生論の勢いを増すことになりかねない
- 国家にまで認容の範囲を広げた場合は最悪の場合デフォルトを招きかねない
- 懲罰分は自己破産で消滅してしまうので、ある程度の地位のある相手でないと実効性が薄い
- 加害者家族や教育関係者の立場が悪化しかねない(被害者や遺族は勿論、犯人本人からも訴えられるリスクが増す)
日本での導入は可能?
結論から言えば、不可能ではない。憲法や条約に特に導入を妨げるような条文は見当たらない。但し懲罰分が民法709条における法律上保護される法益と言えるかは疑問なので、これについては改正が必要になると思われる。
この制度が実行された場合、大企業が多く訴訟の餌食になることは想像に難くなく、経済界からの大反発が予想される。導入するには彼らとの何かしらの政治的取引が必要になると思われる。実際韓国やフランスで導入した際も経済界からの大反対にあった。
日本で懲罰的損害賠償の導入を公約に掲げる国政政党は存在しない。機運は全く高まっていないと言わざるを得ない。政治家個人であれば日本維新の会の音喜多駿氏や橋本徹氏が導入を主張したことがある。
なお橋本徹氏はスシローペロペロ事件に際し懲罰的損害賠償導入の提言を行っているが、通常の賠償金すら払うのが難しいのに懲罰分を課しても払えず差し押さえもできなくなって終わりだろう。そもそも懲罰分は導入国の多くで免責債権とみなされており、日本で導入された場合も恐らくそうなると思われる。バカッターへの抑止力を期待するのは難しいだろう。
ただしバカッターを煽った取り巻きや動画・画像投稿サイト、(国家賠償に認められればだが)所属していた学校などから徴収出来る可能性はあるので、全くの無意味というわけでもない。
関連項目
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