- プロ野球選手一覧 > 三浦大輔
三浦大輔(みうら だいすけ、1973年12月25日-)とは、横浜DeNAベイスターズに所属した永遠の番長である。2021年から横浜DeNAベイスターズの一軍監督を務める。
概要ヨ・ロ・シ・ク!
横浜DeNAベイスターズ #81 監督 |
|
---|---|
三浦大輔 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 奈良県橿原市 |
生年月日 | 1973年12月25日 |
身長 体重 |
183cm 88kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1991年ドラフト6位 |
引退 | 2016年 |
経歴 | |
選手歴 監督・コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
奈良県出身。ニックネームは「ハマの番長」。トレードマークはリーゼントだが、性格は真面目である。自分に厳しく他人に優しいナイスガイ。
高田商業高等学校を経て1991年ドラフト6位で横浜(当時は横浜大洋ホエールズ)に入団。
大洋・横浜・DeNA時代ヨ・ロ・シ・ク!
1995年から先発ローテーションの一人になり、1998年には優勝と日本一に貢献する。この年から引退に至るまで背番号は18だった。
2004年はアテネ五輪の日本代表として出場し、銅メダル獲得に貢献した。翌年2005年には初めてタイトル(最多奪三振、最優秀防御率)を獲得した。
2008年にFA宣言をし、阪神タイガースが獲得に動くがファンや球団の熱心な声を受け、「強いチームを倒したい」と残留を表明。
2005年には中々援護に恵まれず、7回2失点以内に抑えたにも関わらず、勝ち星が付かなかった試合が9試合もあった。しかし、決して打線のせいにはせず、打たれた自分が悪いと語った。
2010年、2011年序盤での不調から引退すら囁かれたが、2011年後半戦から見事復活。5勝6敗・投球回数111と1/3回・防御率2.91の成績を残し、19年連続勝利の球団記録を更新した。
2012年は当初三浦は中10日でローテーションに組まれていたが、開幕3戦目で阪神からチーム初勝利となる勝ち星をあげると、4月11日の東京ヤクルトスワローズ戦では完封勝利。5月からはこれまで通り中6日で投げることとなった。
7月4日の読売ジャイアンツ戦で見事に通算150勝を達成。この試合のヒーローインタビューで「横浜に残って良かった」という名言を残した。前半戦は援護に恵まれる試合も多く、リーグトップの9勝に次ぐ8勝4敗で折り返す。3年ぶりにオールスターにも出場し、かつてのチームメイト相川亮二とバッテリーを組みイーファスを投げ球場を沸かせた。キャリアハイも期待されたが、後半戦からいきなり援護に恵まれなくなり、得意の阪神戦で大量失点したりと勝ち星が遠ざかる。9月25日には2005年以来の150球越えの力投をするも報われず、後半戦はわずか1勝に終わり、最終的には9勝9敗で終了。2009年以来の2桁勝利はならなかった。
2013年は6月12日の千葉ロッテマリーンズで完封勝利し、球団最年長完封記録更新(それまでは小山正明が所持)。
精彩を欠く投球とムエンゴが重なり9勝13敗と負け越したものの、チーム最多勝でシーズンを終えた。
なお援護率は2.87と3点を割り、両リーグでワースト3位の低援護であった。
チーム最年長の身で最も投球回を投げた投手であり、チームで他に規定投球回に到達したのはルーキーの三嶋一輝だけ。投壊状態のチームで番長に負担がかかりまくった結果、リーグ最多被安打・被本塁打・最多失点・最多自責点・最多敗と不名誉な五冠を頂く羽目に。
防御率も3.94と辛うじて3点台に留まったものの、流石に40を目前にして無理出来ない体になってきている。
2014年シーズンからは投手コーチも兼任することになった。
初先発は4月11日の東京ヤクルトスワローズ戦。失点を積み重ねてしまい味方打線が後1歩まで迫るも追いつけず敗戦となり黒星スタートとなる。その後もずるずると負けが重なり途中2軍落ちを挟む4連敗と不調が続く。オールスター前の7月13日のヤクルト戦に5回1失点の好投でようやく今季初勝利を挙げる。
後半戦に入ると7月27日ヤクルト戦で8回1失点の好投で2勝目。続く8月7日の巨人戦。8回まで無失点の投球を見せ味方打線もそれを援護する10得点。完封勝利も目前の9回表に先頭打者の阿部慎之助に甘く入ったど真ん中のストレートをスタンドに運ばれてしまう。完封勝利こそ逃してしまったが、その後はしっかりと抑え3勝目を挙げ。苦手巨人相手に自身9年ぶりの対巨人完投勝利とチームとしては8年ぶりDeNAとなってからは初の巨人3タテに貢献した。
2015年は5月5日のヤクルト戦で初先発。6回3失点で勝利投手となり、プロ野球タイ記録となる23年連続勝利を挙げた。5月20日のヤクルト戦では23年連続安打の記録を達成し、投げても8回無失点の好投を見せ勝利投手となった。
23年連続安打は投手として初となり、王貞治氏を超えて歴代5位の記録である。(1位は27年連続の中日・谷繁元信)。同年末、山本昌をはじめとする年上の選手が相次いで引退。42歳にしてNPB最年長選手となった。
2016年は7月11日の中日戦で初先発。4回6失点で敗戦したものの2回裏の打席で自身の持つ投手としての24年連続安打を記録した(ギネス世界記録に認定)。9月16日の阪神戦にも先発したが5回途中2失点で敗戦投手。
そしてベイスターズ初のクライマックスシリーズ進出を決めた翌日。9月20日 15時に開いた会見にて、25年間続けた現役を引退すると発表した。29日、ホーム最終戦となるヤクルト戦にて前人未踏の24年連続勝利を賭け最後のマウンドへ臨む。この試合ではDeNAの選手全員が背番号18をつけた。7回のマウンドで雄平相手に三振を奪った後、マウンドを降りた。その三浦の最終登板は、6回1/3投球10失点で惜しくも敗戦投手となったが、満員の観客に現役最後の雄姿を見せ付けた。 試合後のセレモニーではスワローズの選手からも花束の贈呈があり、南場オーナーより「横浜ナンバー」と位置づけられた背番号18のユニフォームが手渡され、終わりには矢沢永吉のサプライズビデオレターが流された。最後のグランド1周の際にはライトスタンドの観客の前で胴上げが行われ、引退試合史上最多であろう18回も宙に舞った。
彼が18年間背負い続けた背番号「18」は、横浜ナンバーとして「チームを牽引し、チームの象徴としてふさわしい選手」がつけるべき番号として事実上の準永久欠番に認定された。
三浦の引退により、大洋ホエールズ時代からの現役選手は居なくなった。1998年の横浜優勝経験者についても、当時一軍出場の無かった多村仁志と鶴岡一成も2016年限りでの引退を表明したため、残ったのは巨人の相川亮二のみとなったが、その相川も2017年に引退している。
引退後ヨ・ロ・シ・ク!
2014年から2016年までDeNAのコーチを務める。2017年から2018年までは球団のスペシャルアドバイザーを務めた。
2019年からは再び一軍投手コーチに就任。2020年は二軍監督に回り、2021年から満を持して一軍監督に就任した。2020年まではコーチとしても背番号18をつけていたが、監督としての背番号は81となる。
監督1年目は最下位に沈むも、2年目は2位、3年目は3位と連続Aクラスを確保。しかしいずれもCSでは敗退。
2024年、レギュラーシーズン3位ながら阪神と巨人を撃破し日本シリーズへ進出。ソフトバンク相手に4勝2敗で日本シリーズを制覇。去年の阪神岡田彰布監督に引き続き、選手と監督両方で日本一を達成した。なお、ベイスターズに所属した選手としての監督での日本一は史上初である(その前に日本一になった権藤博監督は現役時代は中日、大洋時代に達成した三原脩監督は巨人)。ついでにシーズン3位からの下剋上日本一もセ・リーグ初である(パ・リーグは2010年にロッテが達成)。
その他ヨ・ロ・シ・ク!
- 阪神キラーとしても知られ、通算46勝32敗と圧倒的に勝ち越していた。逆に巨人は大の苦手だった。
- 守備も上手く、23年間で失策はわずか9個である。
- 横浜の投手の宿命なのか、打撃成績も投手としては比較的上位。2015年時点で通算安打は118本、打率も.126となっていた。
- 通算奪三振数はNPB歴代9位、球団1位。通算勝利は球団3位(先発勝利に限れば1位)。通算完封は球団4位。
- 黒田博樹と投げ合い、完封引き分けになった試合がある。
- 「横浜大洋ホエールズ」「横浜ベイスターズ」「横浜DeNAベイスターズ」の全てに所属した唯一の選手である。特に球団名が「横浜ベイスターズ」だった1993年~2011年の間、ずっとチームに所属し続けていたのは三浦ただ一人。
- 一方で開幕投手を7回務めているが一度も勝ったことがなく、開幕戦7連敗はプロ野球記録となっている。
- ブログの更新はほぼ毎日行われており、プロブロガー並みの更新頻度を誇っていた。
ブログに掲載されるのは、ほんの数行の文章と末尾に「ヨ・ロ・シ・ク!」、そして自撮り画像というテンプレ。
自撮り画像の自らの位置は必ず右下付近にあり、自身の投球ばりのコントロールぶりから「番長フレーム」もしくは「ばんてふフレーム」と呼ばれることもある。参考リンク・ブログの掲載画像一覧
2023年3月を最後にブログの更新は停止。前年11月に開設したインスタグラムに更新が引き継がれている。 - 関西出身のため、シーズンオフには関西圏のテレビ・ラジオ番組にゲスト出演することが恒例となっている。
- 横浜スタジアムでおなじみの「三浦大輔グローブプレゼント」。主催試合 毎試合で、来場した子供を対象に 抽選で自身 三浦モデルの子供用軟式グローブをプレゼントしていた。開始したのは 2004年。初年度は 毎試合2個。2005年より毎試合5個。その他、父の日・母の日・敬老の日は大人用グローブも対象だった。引退までの13年間で配布したグローブは、およそ4800個と記録されている。
- 髪型がリーゼントなのは、大のファンである矢沢永吉の影響。引退セレモニーではその矢沢がビデオレターという形で出演した。なお会ったことは一度もないらしい。なおリーゼント開始時期はプロ1年目の冬から。25年経ち、現役を引退したが、リーゼントは出来る限り続けると宣言している。
応援歌ヨ・ロ・シ・ク!
球団 | レス | No | プレイヤー |
---|---|---|---|
横浜 DeNA |
応援歌のピコカキコ一覧#383 | 9637 |
成績ヨ・ロ・シ・ク!
通算投手成績ヨ・ロ・シ・ク!
通算:25年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 535 | 488 | 78 | 23 | 172 | 184 | 0 | 0 | .483 | 3276 | 882 | 2481 | 1430 | 1309 | 3.60 |
タイトルと表彰とその他ヨ・ロ・シ・ク!
タイトル | ||
---|---|---|
最高勝率 | 1回 | 1997年 |
最優秀防御率 | 1回 | 2005年 |
最多奪三振 | 1回 | 2005年 |
表彰 | ||
月間MVP | 4回 | 2000年8月、2005年8月、2007年7月、2014年8月 |
その他 | ||
開幕投手 | 7回 | 1999年、2002年、2004年-2007年、2019年 |
関連動画もヨ・ロ・シ・ク!
関連項目もヨ・ロ・シ・ク!
外部リンクもヨ・ロ・シ・ク!
- 12
- 33300pt