シーシュポスの神話(英:The Myth of Sisyphus)とは、ギリシア神話に登場するエピソードであり、後にフランスの小説家アルベール・カミュにより同名の随筆が出版されている。
概要
シーシュポスの神話
シーシュポス(Σίσυφος, Sīsyphos/Sisyphus)はテッサリア王アイオロスとエナレテーの息子。妻はプレイアデスのひとりメロペー。後にコリントスの名で知られるエピュラーを創建した。
悪い方へ働く知恵者としての逸話が遺されており、『イーリアス』『オデュッセイア』でその智謀を讃えられた英雄オデュッセウスの真の父であるという異説も存在する。
父の死後、シーシュポスの兄弟サルモーネウスが、次のテッサリア王となった。
王になれなかったシーシュポスは腹を立て、デルポイの神託所にて託宣を乞うた。そこでもたらされたお告げは「おまえの姪と交わって子供を作れば、その子供が恨みを晴らしてくれるだろう」という、人倫にもとる内容だった。
自らの欲の為にシーシュポスはサルモーネウスの娘テューローを誘惑し、2人の子が生まれる。しかし後にテューローはシーシュポスの真意に気づき、我が子らを自分の手で殺したという。
ゼウスが河神アーソーポスとメトーペーの娘アイギーナを見初め、愛人とすべく誘拐した。シーシュポスはアーソーポスに「水の枯れない泉を造ってくれたらアイギーナの居場所を教える」と持ちかけ、約束が果たされた事でシーシュポスはアイギーナの居場所を告げ口した。
ゼウスはアーソーポスとの間に一悶着起きた事で、シーシュポスに恨みを抱く。そして彼を冥界の牢獄タルタロスに連行するよう、死の神タナトスに命じた(ハデスが命じられたとする説もある)。
ところがシーシュポスは言葉巧みに「手錠の使い方を見せてほしい」と持ち掛け、まんまと引っかかったタナトスは自分の手に手錠をかけてしまう。死の神が囚われたことで人間が誰も死ななくなってしまい、これに怒った戦いの神アレースが再びシーシュポスを捕えた。
冥界に戻されたシーシュポスは「自分を省みない妻に復讐するため、3日間だけ生き返らせてほしい」と冥界の女神ペルセポネーに懇願、一時的に生き返る事に成功する。ところがこれもシーシュポスの策であり、かねてより妻メロペーには「決して自分の葬式を出してはならない」と言い含める事で、神すらも欺いていた。
案の定期限を過ぎても冥界に戻らないシーシュポスに対し、伝令神ヘルメースが彼を連れ戻した。そうして二度も神を欺いた罪で罰を受けることになる。
その罰とは「巨大な岩を山の頂上まで押し上げる」というシンプルなもの。
しかし、頂上まであと少しというところで岩は斜面を転げ落ち、作業は振り出しに戻る。このことから転じて終わらない作業、徒労のことを西洋では「シーシュポスの岩(労働)」と呼ぶようになった。日本風に言うと「賽の河原で石を積み上げる」といったところか。
カミュによる分析
フランスの小説家・哲学者のカミュは1942年に『シーシュポスの神話』という随筆を出版している。この本は「人がいつか死ぬ」という不条理に対してどう向き合うべきかを議論する、哲学的な内容となっている。
カミュは本の後半でシーシュポスの神話を持ち出しており、岩が落ちて山を降りるシーシュポスのように、自分に課せられた不条理の事実を認識することでその不条理を克服できうるとしている。
つまり、シーシュポスの罰がいつか終わるものであるという希望を捨て、延々と続く労働であると受け入れることで罰を受けるよりよい状態を求めることはなくなるので罰の意義がなくなるのである(悲劇ではあるが)。
カミュは同じく悲劇的な運命を受け入れたオイディプス王も称賛し、「シーシュポスが幸せであると想像しなければならない」と結論付けている。
ネット上での用法/余談
特に動画サイトでは一つのミスで大幅に後戻りさせられる苦行ゲームに対するコメントとして用いられるが、日本では「賽の河原」の方が馴染み深いため、使われる頻度はあまり多くない。
なお、2024年にはこの神話をモチーフにしたゲーム『The Game of Sisyphus』が発売されている。「壺おじ」こと『Getting Over It with Bennett Foddy』に優るとも劣らぬ苦行を前に挫折するものありRTAに挑むものあり、反応はさまざま。
関連動画
関連項目
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