飯塚事件とは、1992年2月20日に福岡県飯塚市で発生した誘拐殺人事件で、小学1年生の女児2名 (以下、女児A・女児B) が投稿中に行方不明となり、翌21日に同県甘木市 (現・朝倉市) の八丁峠で他殺体として発見された。
事件から2年後の1994年に久間三千年が犯人として逮捕・起訴され、2006年に死刑となる。久間は逮捕以前から冤罪であると主張していたが、2008年に死刑執行。現在は久間の妻が再審請求を行っている。この事件ではかの足利事件でも争点となったMCT118型鑑定が使われたことや、証言の正当性が疑われたことなどから冤罪事件ではないかと言われ続けている一方で、冤罪ではないとする立場を取る者もいる。
本記事では事件の流れと争点となっている部分について解説するものとする。
【事件概要】
概要 / 女児の足取り / 捜査 / 判決
死刑執行とその後
久間三千年の人物像
報道
【論点】
『二本柱』説の評価
MCT118型鑑定 / 八丁峠の目撃証言 / 三叉路の目撃証言
繊維鑑定 / 所有車輌の血痕・人尿痕 / 亀頭包皮炎
久間のアリバイ / 死刑執行までの期間 / 29年越しの新証言
概要
1992年2月20日の朝、福岡県飯塚市の飯塚市立潤野小 (2018年に小中一貫校飯塚鎮西校に統合され廃校) の1年生女児2名が登校途中に揃って行方不明となり、帰宅しなかった。翌21日に行方不明現場から20km離れた甘木市の八丁峠を自動車で走行していた52歳の男性が小用を足そうと車から降りたところ、崖下に2体のマネキンのようなものが捨てられているとして警察に通報。警察が確認すると、前日に行方不明となった1年生女児2名であることがわかったのであった。
2名は上半身は衣服を着用しており、下半身もスカートは着用していたものの、下着は脱がされていて外陰部は露出しており、性的ないたずらを受けた痕跡が認められた。また、2名の司法解剖より、胃の内容物から死亡推定時刻は20日9時30分以前とされた。一方で、膣内や衣服、周辺からは犯人のものと思われる血痕は見つかったものの、精液は見つかっていない。
女児の足取り
事件前日夕方頃、女児Aは家族と飯塚市のカラオケボックスで焼きそば、おにぎり、フライドポテトを食べ、カルピスを飲んだ。翌日 (事件当日朝) 、ご飯に明太子を混ぜて食べ、お茶を飲み、咳止めシロップを飲んでいた (つまり体調不良であった) 。また、女児Bは前日夕方頃、寿司を食べ、翌日 (事件当日朝) 、いちごとミルク入りのカステラロールを食べ、ヤクルトを飲み家を出ている。
事件当日、女児Aは黄色のジャンパーを着用し、赤色のランドセルを背負って、2月20日に同級生の女児Kとともに、女児B宅までBを呼びに行き、3人で潤野小学校まで登校し始めた。しかしぐずぐずしていて8時過ぎごろになっても女児B宅近くから離れなかったため (前述の通り女児Aは体調不良) 、女児Kだけが先に行ってしまったため、女児Aと女児Bはふたりきりになった。なお、女児B宅から潤野小学校までの通学路は距離にして約1420m、所要時間は子供の足で20 - 25分程度である。つまり女児Kはぐずぐずしていてこのままでは遅刻してしまうと判断し、女児Aと女児Bを置いて行ってしまったのである。
8時10分頃に女児B宅近くでしゃがみこんでいるところを、女児Aの知人Lに目撃されている他、8時22分ごろに女児B宅から575mほど進んだバス停付近でいかにも学校に行きたくないという表情でとぼとぼ歩いているところを女児Aの知人Zに目撃されており、更に午前8時30分頃女児B宅から937m進んだ付近の三叉路で農協職員Dに目撃されているが、その数分後に同じ三叉路を通ったVは目撃していない (三叉路の目撃証言を参照) 。
Aの実母は、Aの祖母を病院に送るために8時45分に家を車で出発し、バス停先までは女児2名と同じ通学路を通行、その後南下して病院に送ったあと、再度8時55分頃通学路に戻っているが、同じ道を通過する女児Aは見ていない。また、潤野小学校図書館司書補助員Gは顔なじみのBが登校していないことを聞いて、女児Bらを探すために通学路を逆行しているが、発見できていない。
捜査の流れ
捜査の際に、甘木市の森林組合職員から、遺留品遺棄現場で不審車輌を見たという目撃情報が提供されている。3月9日には事件当日の11時ごろに八丁峠を下る際に、ダブルタイヤで窓に色付きフィルムを貼っている紺色のワゴン車が停車しているという情報が得られた。また、女児の通学路にいた造園業者からも同種の紺色のワゴン車を見かけたという証言もある。彼らの証言ではいずれもマツダのワンボックスタイプのワゴン (ボンゴ) であり、マツダ独特の濃紺色・後輪ダブルタイヤであったこと、更に後部座席にフィルムが貼ってあるというものであった。
こうした紺色ワゴン車の所有者はこの近隣で久間三千年以外に9名いたが、いずれも事件当時にアリバイが成立していた (また、色付きフィルムも貼っていなかった) こともあり、このことから久間は重要参考人としてマークされることとなる。なお、久間はこの際に捜査員の尾行をまいたり急ブレーキをかけるなどして挑発的な態度を示すようになっている。
その後、MCT118型鑑定で女児の膣内やその周辺に存在していた血痕から採取された第三者の血液の血液型とMCT118型が合致したことから、久間が犯人である疑いは高まったものの、別の専門家にも鑑定を依頼したときに「微量ではっきりしない」と回答されたため、この時点では逮捕に至っていない。
1992年9月末頃、久間は所有車輌 (マツダのウエストコースト) を売却した。久間をマークしていた警察は当然その車輌を直後に中古車販売店から押収したが、車内は異様なほどに掃除されていて、毛髪なども発見されていなかった。(久間が車内を頻繁に水拭きし、後部座席を取り外してホースで水をかけて洗浄したりしているということもあり) 第一審以前の技術ではDNA型検出できなかったものの、この時点で後部座席とフロアマットから尿反応と血液反応 (女児Aと同じO型) は認められていた。
1993年9月29日に県警捜査一課と飯塚署の巡査長が久間宅のゴミ袋を拾うなどして車に乗ったところ、久間が「何をしているか」と言って刃渡り15cmの刈り込みバサミで切りつけて全治5 - 10日の怪我をさせたため、福岡県警は傷害と暴力行為の疑いで久間を緊急逮捕した。しかしこの時点でもなお久間を女児2名の殺害での取り調べはなされず、久間は罰金10万円の略式命令を受けるのみにとどまっている。
1994年6月、捜査官が新たなDNA型鑑定法の開発を知り、再度車内を捜索したところ、繊維鑑定で切り取った部分と接する部分に変色痕があった。東レに鑑定で切り取った部分について照会したところ、当初からシミがあったことが確認されていたため、このシミについて鑑定が行われた。これはなお第一審時点では結論こそ出なかったが、後の控訴審時点でTH01型・PM検査法によってその被害者のDNA型と同一の型が検出されている。
同時に、女児の衣服に付着していた微量の繊維片についても科学鑑定したところ、久間の所有車輌のシートと繊維が一致することも突き止めた。この、「繊維が一致する」ことが決め手となって久間は1994年9月23日に死体遺棄容疑で逮捕される。更に10月14日には殺人容疑でも逮捕。この日に死体遺棄罪で起訴され、11月5日に殺人罪、略取・誘拐罪でも追起訴されることとなる。
判決
裁判では久間とその弁護団は一貫して無罪を主張していたが、1999年9月29日に第一審で状況証拠を評価し死刑判決となった。2001年10月10日、控訴審でも新たな証拠を加えたうえで状況証拠を評価し死刑判決となる。
2006年9月8日、上告棄却。10月8日に久間の死刑が確定する。
死刑の執行とその後の出来事
2008年10月28日に、久間の死刑が執行される。死刑確定から執行までの期間は2年であった。この時点で久間は70歳であった。死刑執行の際も久間は自分はやっていないと怒鳴っていたとされている。この死刑執行は1993年に死刑執行が再開されて以降、最も間隔の短い執行であった。
2009年に久間の妻は福岡地裁に再審請求をした。この再審請求では「本田克也筑波大学教授の鑑定書等から科警研のDNA型鑑定の証拠能力が否定される」「足利事件が再審判決になったことから、科警研のDNA型鑑定の証拠能力が否定される」「厳島教授の実験に基づく鑑定書から八丁峠の目撃証言の信用性が否定される」というのが弁護団の趣旨であった。
しかし福岡地裁は2014年、弁護団による「柱となる証拠はTの目撃供述及び科警研による鑑定である」という主張に「判決の有罪認定の証拠構造を正解したものとはいい難い」と判示した上で、上記3点についても否定したうえで再審請求を棄却。
弁護団は更に福岡高裁に即時抗告を行うも、こちらも2018年に棄却。更に最高裁に特別抗告を行ったがこちらも2021年に棄却されている。
この第一次再審請求が棄却されたことを受けて、久間の妻は電気工事業の72歳男性Kの証言を新証拠として福岡地方裁判所に2度目の再審請求を行う (この『新証言』については、29年越しの新証言で扱う) 。この第二次再審請求の際の2024年2月16日に最後の目撃者とされる女性が証言を翻したという報道もなされた (こちらは三叉路の目撃証言にてその証言を翻したという内容が重要になりうるか検討を行う) 。
2024年に、本事件を扱った木寺一孝著『正義の行方 (講談社)』が刊行され、かつ同年4月に映画化がなされた。この映画はNHKが2022年にBS1で放送した『正義の行方〜飯塚事件 30年後の迷宮〜』に基づいており、NHKが制作協力している。
久間三千年の人物像
久間は1938年1月9日生まれで、事件当日は54歳であった。当時久間は定職につかず妻の送迎以外は時々パチンコ店で遊ぶ毎日であったといい、いわゆる専業主夫という形であったようだ。妻・長男と飯塚市に居住しており、事件当日は母親とは別居していたが、逮捕時は母親とも同居して4人暮らしになっていた。
久間本人は被害女児を知らないと答え、女児2名が知らない者の車に乗るわけがないと主張していた。確かに女児2名のうち片方の親は学校教員であり、知らない人の車に乗ってはいけないと強く教育されていたこともわかっているが、一方で久間は「ザリガニのおじさん」と呼ばれ、近所の子供たちにも好かれていたことが明らかとなっている (参考) 。
久間は弁護団からは穏やかな人柄であり、死刑判決が出たあとも弁護団が早く再審請求をしなければと焦っていた際に、死刑囚と判決からの期間のリストを作っていて「私より前に判決が出て執行されていない人がこんなにいる」として焦っていなかったとも言う。
過去に久間宅を訪れていた小学生女児が行方不明になる事件があった。その女児は久間の長男の友人であったが、久間が最後の目撃者であった。この件は後の控訴審において、久間のアリバイがあやふやなことに対しての指摘の際に触れられている。
報道と実際の裁判の論点の比較
この事件について、おそらくだいたいの読者諸賢らはこの記事を見る前から飯塚事件については見聞きしていたもののほうが多いだろうと推察する。というのも、本事件は報道において、「冤罪だったのではないか」と繰り返し投げかけられる事件であり、冤罪の可能性がある事件として著名な事件のひとつだからである。そして、冤罪だった場合に「久間三千年が既に死刑が執行されてしまっている」という取り返しがつかない事件である。他に死刑が確定しているが再審請求が行われている事件は非常に多いが、冤罪の可能性が示唆される事件であり、かつ久間が既に執行済というのはなかなかセンセーショナルである。冤罪であった場合、「国家が無辜の人間の命を奪った」ということになる。
そして――だからこそ繰り返し報道されているわけだが、ここで報道における論点を、裁判において争われた論点と比較してみたい。本事件における判決を整理すると、裁判において久間が有罪とされた (=女児2名を殺害、略取・誘拐、死体遺棄した犯人だと断定するに至った) とする根拠として言及されたものは以下の7つである。
- DNA型鑑定で女児の膣内から発見された血液が久間のDNA型と一致 (MCT118型鑑定)
- 八丁峠で久間車と見られるワゴンが目撃されている (八丁峠の目撃証言)
- 三叉路で被害女児2名と見られる少女と久間車と見られるワゴンが目撃されている (三叉路の目撃証言)
- 女児の遺体の着用していた衣服から久間車のシートと見られる繊維が付着 (繊維鑑定)
- 久間車に血痕と人尿痕が見られるが、久間がそれについて合理的な説明ができない (所有車輌の血痕・人尿痕)
- 久間が亀頭包皮炎であることが女児の被害状況の特異性を自然に説明できる (亀頭包皮炎)
- 久間のアリバイが二転三転しており、信憑性に欠けている (久間のアリバイ)
ではこれらの論点はマスメディアの報道ではどう評価されているのか見てみよう。本件について扱ったニュースサイトの記事を、まずは2024年2月15日以前に絞って見てみたい。「○」は強く言及しているもの、「△」が言及はあるが軽い扱いになってしまっているものである。
報道 | D N A |
八 丁 峠 |
三 叉 路 |
繊 維 鑑 定 |
血 ・ 尿 痕 |
包 皮 炎 |
ア リ バ イ |
---|---|---|---|---|---|---|---|
【衝撃事件の核心】「死刑執行後の再審開始に裁判所は怯えた」…飯塚事件完敗弁護団の厳しすぎる逆転へのハードル(2/4ページ) - 産経ニュース 2014/04/18 |
○ | △ | - | △ | △ | - | - |
飯塚事件の再審請求はなぜ、棄却されたのか | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) 2014/05/05 |
○ | △ | - | △ | △ | - | - |
「飯塚事件」の再審を求めて東京で集会、学者らが報告――死刑執行後に数々の疑念が浮上 | 週刊金曜日オンライン 2017/11/20 |
○ | ○ | - | - | - | - | - |
飯塚事件、目撃証言警察が誘導? 弁護団「聴取前の下見報告書存在」|【西日本新聞me】 2017/12/22 |
○ | ○ | - | - | - | - | - |
最高裁、飯塚事件の再審認めず 1992年の女児2人殺害 刑執行された元死刑囚の妻の特別抗告を棄却:東京新聞 TOKYO Web 2021/04/23 |
○ | △ | △ | - | △ | - | - |
女児2人殺害で死刑執行 “飯塚事件”元死刑囚の家族が「違う男と一緒にいた」との目撃証言を証拠に2度目の再審請求【福岡発】 2021/07/15 |
○ | - | - | - | - | - | - |
福岡・飯塚事件再審請求 「新証言」行方は 15日に3者協議 - 産経ニュース 2021/09/13 |
○ | △ | △ | △ | - | - | - |
死刑執行されてしまった冤罪・飯塚事件、第2次再審請求の新証拠(篠田博之) - エキスパート - Yahoo!ニュース 2021/10/21 |
○ | ○ | - | - | - | - | - |
飯塚事件から31年 新たな目撃証言 「白い車に女児2人」 2度目の再審請求申し立て 福岡県|ヨテミラ! 2023/06/15 |
○ | - | - | - | - | - | - |
ではここから、次は2024年2月15日以降について見てみよう。
報道 | D N A |
八 丁 峠 |
三 叉 路 |
繊 維 鑑 定 |
血 ・ 尿 痕 |
包 皮 炎 |
ア リ バ イ |
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飯塚事件 2度目の再審申し立て非公開審理終了 4月以降に決定か | NHK | 事件 2024/02/16 |
○ | - | ○ | - | - | - | - |
「警察の誘導や強引な押しつけで証言」「自責の念に駆られ」死刑執行済みの事件 再審請求で目撃者が証言覆す - RKBオンライン 2024/02/16 |
○ | - | ○ | - | - | - | - |
警察官も新聞記者も「葛藤」を抱えて…死刑執行された飯塚事件 再審請求で示される「正義の行方」は:東京新聞 TOKYO Web 2024/02/25 |
○ | - | ○ | - | - | - | - |
冤罪か真犯人か? 報道の責任は? 女児2人殺害「飯塚事件」を徹底検証した『正義の行方』がすごい! | 文春オンライン 2024/04/27 |
○ | - | - | - | - | - | - |
2024年2月15日は、最後の目撃者とされる女性が証言を撤回したということが弁護団より公開された日である。これ以降の報道までは、三叉路証言についてはほぼ触れられないか、あっても「そういう証言がありました」程度の軽い扱いでしかないのである。
基本的にはDNA鑑定の話が特に言及され、その次に言及されているのは八丁峠証言と言う形になる。これは各局で制作されたドキュメンタリーでも似たような傾向になり、ほとんどがDNA鑑定と八丁峠証言についてそれが正しいかどうかについて議論している。ではなぜこうなるのかという点を次項で考えたい。
『二本柱』説の評価
基本的に飯塚事件の大きな争点はMCT118型鑑定と八丁峠証言である、というのがマスメディア報道の趣旨であることもわかる。これはマスメディア報道が基本的には弁護団の主張に拠っているためである。第一次再審請求の際も弁護団があげた趣旨はDNA型鑑定 (特にMCT118型鑑定) の証拠能力が否定されるということと、八丁峠証言が目撃した時間に対して詳述過ぎるとして、警察に誘導されたものであり信用性が否定されるという点を挙げている。三叉路証言については2024年2月15日になるまで言及回数は非常に少なく、あまり重要視していなかったようにそれまでの報道からは窺える。
では、実際は上記の7つの根拠はどのように扱われているのか、判決文及び再審請求棄却決定について、該当箇所を引用して評価してみたい。
根拠 | 評価 |
---|---|
MCT118型鑑定 |
|
八丁峠の目撃証言 |
|
三叉路の目撃証言 |
|
繊維鑑定 |
|
所有車輌の血痕・人尿痕 |
|
亀頭包皮炎 |
|
久間のアリバイ |
|
ここから読み取れることは、確かに八丁峠証言については飯塚事件において重要な証拠としていることがわかる。しかしこの八丁峠証言と同じくらい、三叉路証言、繊維鑑定、血痕・人尿痕、亀頭包皮炎証言、アリバイの不成立についても述べており、同じ程度に重要な証拠としていることがわかる。再審請求棄却決定の際も、「MCT118型鑑定と八丁峠証言が成立しないとしても、他が成立するならば刑事訴訟法435条6号の再審事由があるとはいえない」としている。
逆にMCT118型鑑定については第一審から「犯人と被告人とを結びつける決定的な積極的間接事実とはなりえない」と積極的な証拠として採用することを避けており、控訴審でも「疑いを抱かせるものとはいえない」と「久間が犯人ではない証拠にはならない」という言い方にとどまっている。当初からMCT118型鑑定については「久間が犯人である証拠だ」とは言っていないのである。
更に、福岡地裁は第一次再審請求に対する棄却決定時にはこう判示している。
この点について、弁護人は、確定判決が情況事実を証明する証拠として挙げるもののうち、柱となる証拠はT田の目撃供述及び科警研による鑑定であり、これらの信用性等が否定される結果、その余のいかなる情況証拠を総合したところで、事件本人を犯人と認めることはできない旨主張するが、これは、上記のような確定判決の有罪認定の証拠構造を正解したものとはいい難いし、弁護人が提出する新証拠によっても、T田の目撃供述及び上記MCT118型鑑定を除く科警研による鑑定の信用性等が否定されないことは前記のとおりであるから、弁護人の上記主張は採用することができない
福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号 - Wikisource, 2024/05/06閲覧, 赤字強調は引用者による
八丁峠証言についてはともかく、MCT118型鑑定については積極的な証拠として採用せず、「被告人を犯人ではないとする理由にはできない」「他の証拠が成立する限り再審の理由にならない」と判決でも決定でも言及されており、そのうえでこれを発言している。すなわち、MCT118型鑑定については裁判官はあまり争点と考えていなかったことになる (一応述べておくが、第一審判決からすると検察は強い証拠と考えていたようではある) 。
このため、「MCT118型鑑定は誤りがあった可能性が高い」「しかも試料が使いつくされてしまったため再鑑定できない」という弁護団の主張にも「確かにその通り」「再鑑定できないことも確かにあまり褒められたものではない」と一応は認めているものの、他の証拠を弁護団が突き崩すことができていない以上はあまり問題ではない、という回答をしているのである。
しかしマスメディアは先述の通り弁護団の主張に拠って報道しているため、一般の者は裁判でなぜ久間が有罪とされたのか、と問われるとMCT118型鑑定と八丁峠証言を挙げるであろう。2021年に新証言として白い車を見たという男性が弁護団といっしょに記者会見を行ったが、この男性は2023年にマスメディアの取材に対して以下のように発言している。
あの当時のDNA鑑定は初期のDNA鑑定で、DNA鑑定が第一の証拠。それが私はもう完全に崩れたと。それがはっきりしたから、尚更声をあげていろんな場に出てきた
実際には裁判においてMCT118型鑑定は第一審の時点で「第一の証拠」どころか「積極的な証拠にならない」とかなり評価が低かったのだが、第一審から24年経過した今なお「久間が有罪とされた理由はDNA鑑定である」という印象が多くの者にくっきりと存在しているのである。
コラム:判決から見えてくるMCT118型鑑定の扱い
たとえば読者諸賢らが友人から、「俺のパソコンでこのソフト使えるかな?」と質問されたとする。おそらく読者諸賢らはその者のパソコンがどのOSを搭載していてバージョンはなんであり、どんなCPUを搭載し、メモリの容量はどれくらいで、ケースに拠ってはグラフィックボードの搭載の有無も確認するかもしれない。
しかしこのときその者が「えーと、俺のパソコンはDynaBookで」と発言したとしても、おそらく読者諸賢らは気にもとめないだろう。なぜなら、当該パソコンで当該ソフトウェアが使えるか否かという情報に、パソコンを販売したメーカーの情報は全く必要ないからである。それが仮に記憶違いでFMVであったり、ASUSやLenovoだったとしてもOS・CPU・メモリ等の情報が正しい限り回答に差異はないからである。
正直なところ、裁判官が判決文で言いたいのはそういうような意味合いである――MCT118型鑑定が正しかったとしても間違っていたとしても、他の証拠だけで十分に有罪判決を下す根拠があり、しかし事実としてMCT118型鑑定を科警研が実施したうえで検察が証拠として提出している。そして再審請求では逆に久間の妻と弁護団が疑義を呈している以上、一応はその鑑定について議論はしないといけないという理屈で上記のように「積極的な証拠としては採用できない」「逆に久間が犯人ではない証拠にもならない」という表現をしたわけである。読者諸賢らも、仮に友人が自身のPCを販売したメーカーを述べたからといって「そんなとこはどうでもいいから」といちいち指摘はしないだろう。そんなことを発言すれば、相手の心証が悪くなるだけである。
MCT118型鑑定
本事件でMCT118型鑑定が注目される大きな要因の1つが、これがとある冤罪事件でも証拠として採用されていたからというのがある。何を隠そう、足利事件である。
1990年に栃木県足利市のパチンコ店で父親がパチンコをしていたところ、当時4歳の女児が行方不明となり、その後遺体となって発見された殺人・死体遺棄事件であるが、翌年に事件と無関係だった菅家利和が逮捕・起訴され、無期懲役の判決で服役していた。しかし、遺留物のDNA型が2009年の再鑑定で菅家のものと一致しないことが判明。菅家は一転無実であったことが分かった。菅家は釈放され、再審で無罪判決が言い渡された。
この再鑑定に至るまでの機運が盛り上がっていた2008年に久間の死刑が執行された。この結果、「事件の捜査に誤りがあったことを隠すための口封じだ」とする説まで流布されるに至った。
足利事件 | 飯塚事件 | |
---|---|---|
MCT118型鑑定は逮捕の決め手となったか | 決め手になった | 決め手にならなかった |
MCT118型鑑定は有罪判決に大きく影響を及ぼしているか | 事実上MCT118型鑑定のみで無期懲役判決となった | 7つある証拠のうち評価はかなり低い |
MCT118型鑑定は何で行われたか | 被害者の衣服に付着していた精液 | 被害者膣内から採取した血液 (当然被害者血液と混淆) |
ラダーマーカーの変更による再計測 | 123塩基マーカーで計測した鑑定結果をアレリックラダーマーカーで再計測したところ、犯人と服役中の人物のDNA型が一致しないことが明らかになった (この時点で上告審まで終わってしまっている) | 控訴審時点でアレリックラダーマーカーで検証されている |
足利事件における『事実上MCT118型鑑定のみで無期懲役判決となった』というのは、足利事件の他の証拠として採用されているのは菅家本人の自白 (それも強要されたもの) であるためである。一方飯塚事件ではそもそも久間は否認し続けていた。
また精液に含まれる精子と白血球はDNA情報が多く含まれるが、血液に含まれる赤血球にはDNA情報はあまり含まれない。このため、科警研が使った残りの試料を、その後第三者である帝京大が鑑定した際にはDNAがあまり検出されなかった。そもそも精液とことなり被害女児のDNAも混ざるだろうから鑑定は困難ではないかという話さえある (参考) 。
足利事件ではDNA型鑑定のやり直しを求める要求を認めておらず、その後漸く菅家の服役中にやり直しを行った結果違うことが分かって再審に繋がっている。一方飯塚事件では控訴審の時点でアレリックラダーマーカーによる検証も行われているうえ、そこまでしてもMCT118型鑑定を積極的な証拠として採用してもいない。これはそもそも鑑定で使った試料の問題もあろう。飯塚事件の試料は被害女児膣内から採取した血液であり、当然被害女児の血液と混ざってしまっている。逮捕の決め手になったのも繊維片の鑑定結果となっており、MCT118型鑑定は逮捕の決め手にも、有罪の決め手にもなっていないのである。
コラム:弁護団によるMCT118型鑑定への疑義について
- 本田克也筑波大学教授の鑑定書などから科警研が実施した血液型鑑定の証拠能力・信用性が否定される
- 鑑定書に添付されていた写真がその本田克也教授が犯人のDNA型であることが否定できないとするバンドが映らないよう切り取った部分になっていたため検察による隠蔽・改竄である
- DNA型判定は100回は出来たと法医学者が発言している
- 足利事件の再審判決等から、科警研のDNA型鑑定の証拠能力が否定される
しかし、上2つについては検察は最初からネガフィルム全体を証拠として提出しており、その上で久間のDNAと思われる部分を見やすくするために拡大した写真を鑑定書に添付しただけである。また、弁護団が犯人のものだと主張する、「カットされてしまったバンド」についてはエキストラバンドであると第一審の時点で説明している。にも関わらず、弁護団は再審請求、つまり上告棄却後のタイミングで検察は捏造・改竄したと主張している。
また、「DNA型判定は100回は出来たと法医学者が発言している」とする弁護団の主張にも裏付けとなる出典がない。他の法医学者の発言については再審請求の趣意書などにおいて必ず弁護団は出典を示しているため、この発言のみ出典がない理由は不明。
最後の足利事件の再審判決を理由に科警研のDNA型鑑定の証拠能力が否定されるという点についても、上述の通り飯塚事件は控訴審で別のラダーマーカーによる再計測を行っているし、「あちらが駄目だから駄目に決まっている」という論そのものに妥当な論理はない。個別に証拠能力が否定される理由を述べなければならない。
もっとも、これらがすべて妥当であったとしてさえ、そもそもMCT118型鑑定は飯塚事件の積極的な証拠として採用されていないので、判決を覆しうる要素にもならないというのが裁判所の再審請求棄却決定の趣意である。
八丁峠の目撃証言
弁護団がもうひとつ飯塚事件の核として考えているのが八丁峠の目撃証言である。
この八丁峠の目撃証言は、まさに事件当日、遺体が発見された場所において、紺色ワゴン車が目撃されていたという証言である。内容は詳しく記すと以下の通りである。
証人Tは1992年当時、福岡県甘木市森林組合に勤務しており、山林所有者から委託を受けた作業の現場監督や写真撮影などの業務を行っていた。2月20日午前11時頃、仕事から組合事務所に戻る途中、八丁峠の反対車線の道路上に紺色のワンボックスカーが対向して停車しており、助手席横付近の路肩から中年の男が歩いてくるのを発見した。停車位置がカーブであることや男の様子から不審に思い、横を通り過ぎた際に振り返って見たところ道路側に背を向けて立っていたのが見えた。
男は
- 紺色ワンボックスタイプ
- 後輪は前輪より小さくダブルタイヤ
- 後輪の車軸部分は中の方に凹んでいて、車軸の周囲は黒い
- リアウィンドウ・サイドリアウィンドウは色付きのフィルムが貼ってあった
- 車体にカラーのラインはない
- サイドモールはあったと思う
- ダブルタイヤだったためマツダの車と思っていた
と公判では述べている。
裁判では、これに先立つ警察官調書においても、
- 普通の標準タイプのワゴン車
- メーカーはトヨタやニッサンでない
- やや古い型の車体の色は紺色
- 車体にはラインが入ってなかったと思う
- 確か後部タイヤがダブルタイヤであった
- タイヤのホイルキャップの中に黒いラインがあった
- 車の窓ガラスは黒く、車内は見えなかったためフィルムを貼っていたと思われる
と述べていることから、T証言の一貫性を疑っていないほか、Tが現場について日記にまとめる性格であり、日付についても争う余地がない (Tの日記においてその現場に行ったのは2月20日の他は2月12日と3月4日、3月2日には警察に目撃事実を供述したうえで3月4日には現場に警察官を案内している) としてこの証拠を概ね信用している (ただしサイドモールの有無とマツダと断定した部分については被告人車を見せられたことによる記憶の変容を否定していない) 。またTが説明した男の風貌についても警察官への供述とあまり変わらないことを理由に信用性があるとした。
しかし弁護団はTの証言が短時間で見た内容にしては詳細すぎるうえ、警察にTが供述するまでには日数が経ちすぎているとして、供述において警察による誘導があったのではないかと主張した。それにとどまらず、実際にそれだけのことを記憶して置けるか、2000年に八丁峠で心理学者による実験も敢行している。この実験では45人の被験者に実際に八丁峠を走ってもらい、そこでカーブに止まっている車に気づいたかどうかについて尋ねるというものであり、Tのような証言ができなかったことを理由にTの証言が信頼性がないと主張した。
しかし控訴審判決において日数の点と上記実験についてはいずれも説明がなされている。まず、日数の点に関しては確かに警察による聴取は事件から17日経過しているが、その前にTは事件翌日の2月21日・及び翌々日の2月22日に同僚のJとその不審車輌について話題にしていた。この同僚Jも裁判で証人として呼ばれており、Tの証言がTとの会話で聞いた不審車輌の特徴と一致していることを述べている。
また実験についても、実際の状況と違いすぎると否定された。というのも
- 事件が起きたのは冬。対向車が少なくなる季節であり、そのような時期に八丁峠のカーブに止まっている車はかなり目立つ。一方実験は春に行われ、対向車も多い。対向車が多い時期にカーブに止まっている車なんて見つめていたら事故を起こすのでそこまで注意を持って見ようとしないだろう。
- そもそもTは甘木市の森林組合の職員であり、現場は土地勘がある。また、車も自分の所属する森林組合の車輌であり乗り慣れている。このため安全に車輌を運転するために払うべき注意は低いもので足りるはずであり、カーブに止まっている車を確認するだけの余裕はあっただろう。
- そしてその道を通ることがあったという事実から、その道路や付近状況が普段と異なる際に、それについて注意を向けやすい。
- Tはダブルタイヤ仕様の車輌の存在や特徴について不審車輌を目撃する以前から知識を有していた。
ことからTと被験者が同条件であったとは到底言い難いというわけである。
また、警察による誘導があったのではないかと言う説についても
- 犯人の年齢などについて供述が被告人の実際の年齢と異なる
- 面通しでも被告人を犯人と特定できていない
- 最初に森林組合に聞き込みに行った警察官はその時点ではじめて組合のどの職員が現場で紺色のワゴン車を目撃したかを知ったこと
- 上記同僚Jの証言から警察官の聞き込み以前に同内容の話をしていたこと
- 当時製造・使用されていた各種ワンボックスカーの色・仕様から車に多少の関心があるTがマツダのボンゴであると供述するのも無理はない
としている。ちなみに、報道ではTが森林組合職員であることについてはあまり言及されておらず、このため「仕事で通ったことある道でかつ言ってしまえば山林なので職場である」という、Tが不審車輌の特徴を詳細に覚えていてもおかしくないであろう条件が視聴者にはあまり知られていない。
コラム:「ラインがある」ではなく「ラインがない」という供述?
なお、この「トヨタやニッサンではない」「ラインがない」という点を度々特異な点であると冤罪説を主張する者が指摘している。例えば以下の引用がそうである。
この不審車の特徴の3項目め、「メーカーはトヨタやニッサンではない」という、これがこの目撃証言の極めて特異な特徴です。普通、車を見た人がその車の車種について供述をする時に、「トヨタやニッサンではない」などという供述をすることがあり得るでしょうか。トヨタやニッサンでないメーカーはたくさんある。それなのに、なぜそういう供述になったのか。
それから6項目めには、「車体にはラインがなかった」という目撃証言があります。ラインがあったという目撃をしたのであれば、証言として意味があるんですけれど、「ラインがなかった」という証言、これがT供述の特異な点です。
死刑執行されてしまった冤罪・飯塚事件、第2次再審請求の新証拠(篠田博之) - エキスパート - Yahoo!ニュース, 2024/05/06閲覧
しかし、これは以下の2点を知っていればわかることである。
まず、供述調書は実際には捜査員とのやりとりで「そのワゴンは本当にマツダですか?トヨタとかニッサンの可能性はないですか?」「いやトヨタでもニッサンでもないですね。ダブルタイヤでしたし」「なるほど、マツダのワンボックスタイプとなるとこれらの車種がありますね。こんなラインはありました?」「いや、ラインはないですね」という会話であったとする。しかし会話文形式だと裁判の資料として読みづらいので、実際の供述調書は独白体、すなわち「その人がひとりでに喋ったかのような口調」で作られるのである。このため、それを知らない人が読めば特異な文章に見えるというだけである。
そして第一審判決で述べられている通り、ワンボックスタイプかつ後輪がダブルタイヤであるものはマツダの他にはトヨタ、いすゞ程度であり、ワンボックスタイプに広げてもニッサンが出てくる程度。かついすゞ車は紺色の設定がない。トヨタの場合も後輪ダブルタイヤの車種はライトエースバンとハイエースバンだけ。ハイエースバンは紺色の設定がないためライトエースバンだけになるがライトエースバンには今度はサイドリアウィンドウがない。このため全塗装でもして車体の色を紺色にでも変えていない限りTが目撃したものはマツダのワンボックスタイプである。かつこの当時のマツダのワンボックスタイプの最高グレード車種である82年式ウエストコーストには目立つラインが入っているため、ラインの有無は重要事項である (当時他にあったマツダ・ブローニィ、マツダ・マルチバンにはラインはない)。
ちなみに久間の所有車輌はマツダの82年式ウエストコーストで、本来であれば入っているはずのラインが剥がされている。また、T証言ではフィルムが貼ってあったことが述べられているが、実際に警察が久間の車輌を押収後フィルム痕を認めており、久間もフィルムを貼っていたことを認めている。
コラム:証言と久間の人物像の不一致
もうひとつ言及して置かなければならないことがある。それは、八丁峠証言においては車輌については久間の車輌と一致する特徴が挙げられるが、一方で車輌の近くにいた人物の人物像とは一致しない事項がある。
この男の人相は、頭の前の方が禿ていたようで、髪は長めで分けていたと思うし、上衣は毛糸みたいで、胸はボタンで止める式のうす茶色のチョッキで、チョッキの下は白のカッター長袖シャツを着ておりました。その感じから年齢は30ないし40歳位と思います。
福岡地方裁判所平6 (わ) 第1050号、平6 (わ) 第1157号 - Wikisource, 2024/05/10閲覧
久間の実際のルックスは前部はあまり禿げておらず、むしろ頭頂部のほうが禿げている。また久間の事件当時の年齢は54歳であり、また久間の妻によりベージュ色のチョッキを持っていた事実は確認されているが、ベージュ色と茶色はかなり違う印象ではないだろうか。
そして、面通しを行っても森林組合職員Tは久間と目撃した男が同一であるかわからないと回答したのである。もし誘導を図るのであれば、車輌がどうというより先に男の特徴をすり合わせたほうがよく (というより、後述の三叉路証言では男の特徴どころか運転者の性別含めた特徴について述べられたものはなく、男の特徴について述べている証言自体が八丁峠証言くらいである) 、面通しで不一致というのは警察にとってはあまりおいしくはない状況であるはずである。控訴審判決でもこれを踏まえてこのように述べている。
被告人を目撃したかどうかについては面通しを受けても同一性を識別できない旨供述し、目撃した人物の年齢を若く供述するなど、被告人が犯人であるとすれば異なることになるような内容を含めて供述していることなどからしても、T田が記憶に従い誇張もなく供述していることに疑いを差し挟む余地はないと認められる。
福岡高等裁判所平11 (う) 第429号 - Wikisource, 2024/05/10閲覧
三叉路の目撃証言
三叉路の目撃証言とは、被害女児が最後に目撃された三叉路における目撃証言、及びその同僚の証言、またそれと近い時間に紺色のワンボックスカーを目撃したという2名の証言の計4名による証言である。
- 八丁峠証言との整合性がある
- 八丁峠証言・繊維鑑定と合わせることで犯行車輌の特定が可能となる
- 三叉路は被害女児2名が潤野小学校に通う通学路である
- 女児が最後に確認された証言であることから、犯行時刻の絞り込みが可能となる
- 更にその時刻に丁度、久間が主張していたアリバイと矛盾なく久間がその三叉路を通りがかることが判明している
という点であり、実はかなり重要度の高い証言なのだが、マスメディアによる報道では2024年2月16日に最後の目撃者とされる女性が証言を翻したという弁護団発表まであまり重要度が高いとして取り上げられてこなかった。
まず、農協職員Dは午前8時30分頃、通勤のために自動車で三叉路を通過したところ、北方向から2人組の小学生1 - 2年くらいの女児を見かけた。ふたりともランドセルを背負っており、1人が黄色い雨合羽かジャンパーを着用していた。この時間では学校に遅刻しているはずなのに (8時30分は小学校ならとっくに始業の時刻である) 妙にだらだら歩いているのを記憶している。2人の横を通過したところ、3台の車が駐車しており、ボンゴと乗用車があったのを記憶しているが、もう1台は不明。その後40歳ほどの男が運転するボンゴと離合し、勤務先の駐車場に車を停めて化粧品を片付けていると同僚Vが駐車場に入ってきた。
この同僚Vは証言において、Dの通勤路と同じ道を通って出勤した。三叉路先には2台目のボンゴに男が乗っていた。8時33分に出勤しており、三叉路から県道までの道に小学生は見かけていない。
近くで建設業の従兄弟の手伝いをしていたXは、従兄弟とユニック車を借りるために三叉路に向かった。8時30分頃若い女性が運転する軽自動車 (農協職員D) とガードレール付近で離合し、その後先行していた従兄弟のスカイラインの後ろに自身のトヨタ・タウンエースを停めた。後ろには三菱のワゴン (後述の造園業者W) が停車しており、別の女性 (V) が運転する軽自動車が横を通過していった。自分が停車した位置が通行の邪魔になると考えたXは車を移動させ、その後降りたときに後方からワゴン車が右横を追い抜いて潤野小学校の方向に走っていった。
X曰く、ワゴン車はマツダのワンボックスタイプ、通称ボンゴ車であり、青みがかった黒っぽい色であった (=紺色) 。リアウィンドウには黒っぽいフィルムが貼ってあった。
造園業者Wは8時20分ごろ、三叉路南側の路上に自身の三菱デリカワゴンを停めて付近の民家の造園工事を行っていた。そのころ低学年の女児が1人半べそをかきながら小走りに立ち去った。その後午前8時30分にユニック車を貸す約束をしていたXとその従兄弟に会う。従兄弟のスカイラインが停車したあとXがタウンエースを後方に停めようとしたが、軽自動車 (W) が通りにくそうに通過したため、Xは前方に停車しに行った。その後、Xが三叉路付近で車に轢かれそうになったというので見たらワゴン車が急いで走り去っていくのを見た。
W曰く、これはマツダのボンゴであり、濃紺色でサイドモールがあり、後輪ダブルタイヤである。また、サイドウィンドウにはマツダ純正と思われるベージュの色褪せたカーテンが付いており、リアウィンドウは黒っぽかったのでフィルムが貼ってあると見られる。
この証言は、先程の事件当日の女児の足取りと照らし合わせることで女児が略取・誘拐された時間が8時30分頃であることを示す (Dは見ているのにVは見ていない=Vが目撃する前にAとBは通学路上から消失している) とともに、その時間に急いで走るワンボックスカーがあること、そしてそれが先程の八丁峠証言でも目撃されている紺色のワンボックスカーであることから、このワンボックスカーが事件に関わっている (=女児2名がワンボックスカーに乗っている) 可能性が高くなる。
なお、捜査員によれば当初の捜査段階で久間の主張していたアリバイ通り、久間が妻を職場に送りその後帰宅したあとに実母宅に向かったとすれば、女児の行方不明時刻に現場を通過することがわかっている (この指摘がなされたあと、久間は証言を変更している) 。
また、極めて短い時間 (女児2名が行方不明になった8時30分から死亡推定時刻の9時30分以前) に犯行が行われ、女児2名が抵抗したような声を上げていないことから顔なじみの犯行である可能性も高まる。久間は当地でザリガニのおじさんとして子供たちに好かれていたこと、女児の片方は教員を親に持ち、知らない人の車に乗ってはいけないと強く教育されていたことから、この三叉路証言はかなり重要性が高いのである。
コラム:2024年の農協職員の証言撤回について
この三叉路証言が大きく取り上げられたのは、皮肉にも2024年2月15日に農協職員Dが自身の証言を撤回したというニュースからである。弁護団によれば、農協職員Dは被害女児らを見たのは事件当日ではなく、当時の証言は警察からの誘導や強引な押しつけで作成されたこと、出来上がった調書に署名と捺印を求められたことを主張しているという。
弁護団は女性の証言を元に確定判決が出たとして、これにより事件の有罪決定構造が崩れると主張したのである。
22日朝刊は21日までの情報で紙面が作成されるため、行方不明になった2月20日及び遺体発見日の2月21日の情報しか当然掲載されていない。これにもかかわらず、行方不明当日の足取りとして「8時半 学校から約300メートル離れた場所で2人が歩いているのを農協職員が目撃」という情報が提供され、1992年2月22日の西日本新聞朝刊30面及び朝日新聞西部朝刊27面、読売新聞1992年2月22日西部朝刊27面に掲載されている。流石に2日間で目撃情報がブレるとも考えにくく、また農協職員Dの車輌は上述の通り同僚V、証人Xが目撃していること、そしてその同僚Vと証人Xの裏付けとして造園業者Wが登場する。農協職員Dの記憶のほうが「無実の人を死刑にしてしまった」という恐怖で変質した可能性のほうが高い。
ちなみに遺体発見のニュースが出たのは21日の18時であることがTの八丁峠証言を批判する立場で行われた実験の主導者である厳島行雄の論文に掲載されており、この時点で警察はまだ殺人を前提とした聴取を行う前段階。久間が捜査線上に浮上するのはどれだけ早く見積もっても捜査員が久間に接触した2月25日になるため、久間の主張するアリバイに基づいて22日の朝刊に間に合うように農協職員Dの証言を変えさせるということは (事件そのものが久間を陥れる何らかの陰謀であったなどの一般的に考えにくい事情がない限り) 時系列上ほぼ不可能である。
繊維鑑定
上述の通り、繊維鑑定は久間の逮捕の決め手となり、また有罪判決を下す決め手にもなった重大証拠の一つである。しかし、マスメディア報道ではあまり明確に触れられているとは言い難い。
また、さらっとしか触れられないために冤罪支持派はしばしば「マツダが使ったシートの繊維が付着していたと言うだけ。原糸は東レの既製品であり車輌特定の決め手としては弱い」と言うことがある。しかし、第一審判決をよく読んでみると繊維鑑定が逮捕の決め手になった理由はかなり強いものであることがわかる。
久間が所有していたマツダの82年式ウエストコーストの織布は、このマツダの82年式ウエストコーストにのみ使用されているというかなりレアな素材である。第一審判決ではこのウエストコーストに使われている織布についてここまで詳述されている。
- 被告人車の全席の座席シートに使用されているS-TYR313X (以下、第一審判決に基づいて「本件織布」) は、マツダがウエストコーストのマイナーチェンジに際して特別に開発したものであり、他のマツダ車には一切使用されていない。
- 本件織布は地糸の上に立体的にパイル糸を織り込んだ「モケット」と呼ばれる織布であり、住江織物がマツダの要望に応じて東レから購入したパイル糸を、茶久染色に染色させ、マツダに納入していたものである。
- 東レが住江織物に納入したパイル糸は自社開発のナイロンステープルを紡績加工業者に紡績させたスパンナイロンで、原糸であるナイロン糸はナイロン6で繊維中の二酸化チタンの含有量が、0.02パーセント(ブライト)又は0.36ないし0.38パーセント(ゼミダル)である。
- 端のない繊維であるフィラメント糸は脱落するとき数十mm前後の長さの揃った繊維片として切断、脱落することはないため、これは端のあるステープル糸で間違いない。
- 東レの鑑定が終わったあと、もう一社のナイロン6製造メーカー・ユニチカにも鑑定を依頼し、同様の結果が出た。
- 女児Aは良く洗濯された衣類を着用し、女児Bに至ってはスカートやトレーナーの新品を当日朝包装されていた袋からはじめて取り出して着用していたこと、そして当日登校していたところを拐取され、その後数時間で殺害・遺棄されているため、これらの衣類に付着した繊維は犯人車輌の座席シートに由来するものが多いと推定される。
- 染色は染色会社が独自に染料の選択、配合比、添加物を決めるため、性質上個別性、独自性が強く、座席のデザイン色調はその都度車種ごとに検討されているため、マツダの82年式ウエストコーストと一致する東レのナイロン6ステープルを用いて同じ配合比 (82年式ウエストコーストの場合はイソランイェローK-RLS、ラナシンブラックBRL) で染色された素材が他のところから出てくる可能性はほとんどない。
- 上記の素材と、八丁峠のT証言、三叉路のW・X証言の各目撃供述から犯人車はマツダの82年式ウエストコーストであると認めるに十分である。
なお、一応ウエストコースト以外でたまたま東レのナイロン6を使用し (あるいはたまたま海外で東レと似た二酸化チタン含有量のナイロン6ステープルを作っている企業があり) 、たまたま茶久染色と同じ配合比で着色した素材を使ったシートが全く出てこないという保証はないので、裁判所も完全な断定はしていない。しかし「断定はできない」というだけで18000文字超も第一審判決で文を割いて記載しているところから見ても、「ここまでの状況が被るわけがない」という確信を持って判決に盛り込んでいることは窺える。
コラム:もうひとつの久間車と犯人車輌の共通点――フィルムの有無
森林組合職員Tによる八丁峠の目撃証言・三叉路の目撃証言における証人Xと造園業者Wの発言において、共通点となる事項は「紺色」「ワンボックスカー」「ダブルタイヤ」以外にもうひとつあった。後部座席に黒っぽいフィルムが貼られていたということである。
1990年代後半からは車の後部座席のガラスはスモークガラスが一般的になるが、それ以前は後部座席も運転席側と同じ透明度のガラスを採用していた。つまり事件当時の1992年に後部座席が黒っぽい場合は自分でフィルムを貼っていたことがそこからわかるわけである。
他に飯塚警察署管内に居住、もしくは所在し、被害女児らが失踪した三叉路を通過する可能性があった、同様の紺色のダブルタイヤのワンボックスカーを運転していた人物を警察は他に9名確認しているが、9名はいずれもアリバイが成立するうえ、フィルムを貼っていなかったという。
久間の所有車輌から確認された血痕・人尿痕
久間の所有車輌からは当初から血痕とかなりの量の人尿痕が確認されていたのだが、この血痕と人尿痕について女児2名のうち女児Aがかなりの量の鼻血を出していたこと、そしてその血痕がその被害女児Aの血液型 (O型) と一致することをつきとめたものの、DNA型までは検出されなかった。これは久間がシートを度々水拭きし、後部座席に至っては外してホースで丸洗いしていたことが理由である (第一審判決にもそう記述されている) 。DNAは水で分解されるため、当時の技術では検出することはできなかったのだ。
また、久間車は新車ではなく、それ以前に別の所有者がいた。このことから、これは逮捕の決め手にはならなかった。前の所有者のときについたと言えなくもないからである。
第一審判決
しかし第一審判決のころには前の所有者にも聴取が行われており、前所有者S夫妻は以下のように供述している。
- 1983年にウエストコーストを新車で購入
- 購入直後からシートカバーを取り付け、足元にはフロアマットのうえに玄関マットのような足ふきマットを設置
- 子供は既に昼間はおむつを外しており、おもらしをすることはない
- 家族が出血・失禁したことはない
- 他人に車を貸したことはない
また、S夫妻がこのウエストコーストを売却し、その後中古車店に並ぶまでの間にも作業員や販売員は出血しておらず、血痕と人尿痕は久間がこの車輌を管理している間についたものと認めるのが相当といえる状況であった。
そしてこの車輌の血痕と人尿痕について久間とその妻は妥当な理由付けができなかった。そもそも走行中の車内で出血したり、大量に失禁したとなれば、久間車の運転者は久間しかありえないため、同乗者から出血や失禁について申告を受けるであろうし、それが乳幼児で自分では申告できなくとも、付き添っている者から申告を受けることができたはずである。また出血に関してはそのシートの性質上パイル糸のモケットに血痕が付着すれば目立つために、車内を頻繁に清掃する久間が気付かなかったはずもなく、失禁に比べて申告を受けなかったという可能性も低い (失禁の場合は当人が恥ずかしさから隠匿する可能性は否定はできない) 。加えてそれを清掃した記憶もないはずもなく、付着時期や原因などについて具体的に説明できないのは不自然と裁判官は考えた。
これに対する久間の供述を見てみよう。久間は捜査段階では同乗者の誰かがおもらしをしたという記憶はまったくないと主張し、血痕についても実母が怪我をして出血をしていた時期に乗せたことがあると言ったものの時期までは思い出せなかった。公判供述では妻が流産したときに下着が汚れていることに気付いたという話やその他母のおかわの世話をしたり、あるいは長男が暴れたときについたかもしれないなど可能性の話をいくつも出したものの、やはり具体的には説明できなかった。
久間の妻に関しても同様で、捜査段階と公判段階では供述が食い違っており、かつ捜査段階では母親のおかわの世話をした事があるという話について述べていなかったり、自身の流産について忘れていたというのも不自然である (流産は結構忘れがたい記憶になるはずで、それで車に血を付着させた可能性があるのであれば捜査段階で述べているはずだからである) 。
控訴審判決
さて、DNAが検出されなかったという話についてであるが、1994年になると新たな検査法が開発されたことを耳にした捜査官が改めてシートを確認すると、繊維鑑定のときに切り取った部分の周囲が黒く変色していることに気付いていた。東レに鑑定について照会すると、東レが繊維鑑定を受けたときにそこにシミがついていることを確認していたため、改めてその試料を返却してもらったあとにDNA型鑑定が行われたのであった。第一審判決時点ではこの検査結果は出ていなかったが、控訴審のころには検査結果が出ていたため、控訴審判決ではこの検査結果も判決に当然盛り込まれている。
このときMCT118型は検出されなかったが、TH01型鑑定及びPM検査法ではGc型についてCのホモであることが確認できた。また、女児2名の毛髪にも同様の検査を行うと、女児AはGc型についてはCのホモであることが確認できた。これが一致することで、なおさら女児2名を殺害した際についたであろう血痕であることが説明できるとして、より強力な状況証拠として採用されるに至る。
弁護団は控訴審になってからこれが出てきたことに検察の作為 (要は捏造) ではないかと主張したが、東レ証言によって当初から血痕がついていたこと、TH01型鑑定及びPM検査法では時間経過や水による分解でも変わりにくい部分について検査できることから、判決では作為を否定。女児2名が失禁していた形跡と、鼻血を出していた女児Aの血液型・Gc型の一致を理由に久間車の血痕・人尿痕は女児2名の殺害の際にできたものであると結論付けた。
コラム:繊維鑑定とGc型の一致という証拠を覆しうる可能性
先程の繊維鑑定と、控訴審におけるTH01型鑑定及びPM検査法で出てきたGc型の一致という証拠は、かなり本件において久間を犯人であるとする理由付けとして使われている。なにしろこれだけで最初のMCT118型鑑定の話はその正否が問われなくなるし (実際「MCT118型鑑定の話を理由に久間が犯人でないとはいえない」と言っていることからもわかる) 、かなり犯人である可能性のある人間を絞り込めてしまう。
しかし弁護団や冤罪支持派は繊維鑑定については既製品を加工したものであり、Gc型に関しても疑義を示すことが多い。
実際、覆しうるポイントが有る。まず繊維鑑定についてだが、繊維鑑定によって女児の衣服に付着していた繊維片が久間の所有する82年式ウエストコーストのシートと同じであることが断定されている。ここでこの繊維片がそうではない可能性が示せればいいわけだ。
- 住江織物が納入しているメーカーを確認し
- 茶久染色をはじめとした染料メーカーにドイツバイエルン社のイソランイエローK-RLS200とスイスサンド社のラナシンブラックBRL200をマツダ・ウエストコーストのものと同配合比で配合して染色したものが他にないかを確認し
- 他に車輌シートの織布を納入している川島織物等のメーカーにも同様のことを行う
犯行が1992年であるため、それより以前の車種について調べればよく、同じ織布が使われた車輌を他にも挙げられれば、久間以外に犯人がいる可能性を示しうると言える。
次にGc型だが、実はこのGc型の判定は3種類に分けられるという結構精度としては低いもので、控訴審判決でも「出現率は約16人に1人と認められる」と、実は冤罪説が語られる際にしばしば槍玉に上がるMCT118型鑑定よりも被りは多い。すなわち、久間の家族のうち、O型かつCのホモである者が発見できれば判決を覆しうるわけである。
そしてこれは早ければ早いほど良く、そうでないと久間の家族の中にも亡くなってしまう者が出てくる。このため、弁護団や冤罪支持派を批判する立場からは、「なぜ弁護団は逆にこのあたりのチェックを行わないのか」と指摘されている (参考) 。
亀頭包皮炎
亀頭包皮炎とは、男性器の先端部分の亀頭と、その包皮に炎症が起き、赤みや膿、かゆみなどの症状が起きる病気である。
久間は逮捕当時、亀頭包皮炎である自分は事件当時も挿入できない状態であり、セックスへの興味もなかったと主張。更にそれを親族を集めた場でテープに録音し、この場に同席した毎日新聞の大坪記者にも預けている (これは第一審判決に述べられている) 。捜査段階でも、入院を勧められ紹介状まで書いてもらったにも関わらず、息子の面倒を見るために自宅で食事療法をすることを決めたとも述べている。
要は陰茎を外陰部に入れると痛みがあるから入れられるわけもなく、それ故絶対に無罪であるという主張であり、このためか3月21日に警察官の福田係長が自宅に来た際も「アリバイは要らない、120パーセント白だ。」と断言している (やはり第一審判決より)。
さて、MCT118型鑑定の項で述べた通り、この飯塚事件の被害女児らの膣内やその周辺から見つかった血痕を元にMCT118型鑑定が行なわれている。――足利事件では精液に対してMCT118型鑑定を行ったにも関わらずである。これは被害女児らの遺体や衣服などからは精液が見つからなかったためである。つまるところ、「被害女児らの膣内からは第三者 (=犯人) の血液は発見されている (=被害女児らは強姦されている)」にも関わらず、精液は発見されていないという状況で、なおかつその血液型やMCT118型鑑定は久間と一致するという状況であった (MCT118型鑑定を妥当とみなしているのではなく、あくまで状況の説明をしていることに注意) 。つまり、事件当時亀頭包皮炎を患っていたのであれば、むしろ合理的に状況を説明できてしまうことが第一審で指摘されたのである。
すると久間は第一審の第33回公判にて1991年11月頃には亀頭包皮炎は完全に良くなったと発言した――しかも検察から「亀頭包皮炎であるならばむしろ特異な状況を合理的に説明できる」と言われてからであり、しかも弁護団にもそれまで発言していなかった。久間は調書はすり替えられたものであるとまで発言している。これについては判決でも以下のように指摘されている。
そもそも、調書の内容がすり替えられているというのであれば、そのことを法廷で強く主張しないはずはないのに、被告人は、このことを第33回公判になるまで、しかも検察官から聞かれるまで明らかにせず、その理由についても「弁護人には説明しなかった。弁護人には言わないで法廷で言うつもりだった。弁護人からは聞かれなかったから言わなかった。」などと述べるだけで(460項以下)、納得のいく説明をしないのである。これらのことからすると、供述調書の証拠能力を争う被告人の右公判供述は到底信用できない。
福岡地方裁判所平6 (わ) 第1050号、平6 (わ) 第1157号 - Wikisource, 2024/05/10閲覧
また、久間の妻も公判段階では「夫の亀頭包皮炎は良くなっていたと思う」「夫が必要ないというので紹介状も処分した」と久間の公判供述に沿う内容の供述を行っているが、捜査段階では久間の亀頭包皮炎がいつ頃から良くなっていたか覚えていない、当時の性器の状態も不明であるという回答をしていたのであった。亀頭包皮炎に伴う久間の病状は「包皮が破けてパンツにくっついて歩けなくなる」ほどであり、亀頭包皮炎であることを診断した医師が糖尿病も疑って他の病院に紹介状を書くほどの状態でありながら、捜査段階では具体的に供述できなかった妻の公判供述についても、判決では信用できないとしている。
また、1991年7 - 12月頃に強い皮膚病に効く『フルコートF』という薬を頻繁にとあるドラッグストアで久間は購入していた。副作用が強い薬であるため、ドラッグストア経営者は「名指しで指名されたときしか販売しない」「これを名指しで購入していた久間のことは覚えている」と供述。同店の元店員も「被告人は常連であり、フルコートFを購入していたことを覚えている」と供述している。久間とその妻はフルコートFを購入していた事実はないと主張していたが、判決では久間と妻の供述は明らかに虚偽であるとしている。
コラム:久間の性格鑑定
第一審判決では、弁護団が久間は今まで社会生活を普通に営んでおり、検察が主張するような衝動的な犯行を行うような人間ではないという理由で性格鑑定を申請し、裁判所はこれを認めて福岡大学医学部精神医学教室助教授医学博士・堤啓に鑑定を依頼した。
この鑑定ではMMPI (ミネソタ多面人格テスト) 、ロールシャッハ・テスト、P-Fスタディ (絵画欲求不満テスト) 、バウム・テスト、TAT (絵画統覚検査) と5つの鑑定が行なわれたが、MMPIでは全383問のうち、本事件に関わる久間の心理状態や心理反応に関する148の質問に対して無回答。またこのテストの中で答え間違いを訂正する場面でも慌てていた。
他のテストからは久間は自由に想像を働かせようという動きがあまりなく、また、回りの人間に対する無関心さ、感情の冷却、警戒心の強さなどが指摘され、欲求不満に対してそれをすぐに満たしたいと考える傾向が強く、刺激が強まる状況では現実的に対処できないという判断がなされた。
これらから久間は情性欠如型精神病質者と判断された。つまり、精神鑑定ではむしろ検察が主張するような衝動的な犯行を行いうるという結果が出てしまったわけである。ただし、これは久間にとっても不利な鑑定であるものの、裁判所はこれについていくつかの指摘を行い、堤鑑定を素直に採用できないとして判決において結果の採用をしていない。
久間のアリバイ
所有車輌の血痕・人尿痕や亀頭包皮炎の項でも度々指摘されているが、久間やその妻の発言は捜査段階と公判段階で変化しており、かつ捜査段階では曖昧だったにも関わらず、公判段階では詳細に語っているというケースが多い。
久間が公判に当たり、供述調書について述べた部分がある。
被告人は、公判で、「調書は手に取って自分で読み、納得できなければ署名しない。」「私はいつもプライドを持って闘ってきた。見苦しい調書などいっさい作らない。問答式調書は1枚も記憶がない。(裁判に提出されている)調書はでたらめで、中身がごっそり替えられている。」「警察官調書の署名の際、余白の後ろに署名するよう言われたが、署名した後でその余白部分に陰茎から血が出てなどと書き込まれている。」などと述べて、供述調書の証拠能力を争い
福岡地方裁判所平6 (わ) 第1050号、平6 (わ) 第1157号 - Wikisource, 2024/05/10閲覧
しかし実際には久間が署名した調書に問答式のものがあった。また、中身がごっそり変えられているというにも関わらず、当初からそうだったと主張するわけでもなかった。前述の亀頭包皮炎のケースでも、自身が亀頭包皮炎が完治していたと述べたのは第33回公判であり、それまでは亀頭包皮炎であったと調書通り主張するのみならず、それについて親族を集めた場で述べたうえでその録音テープを記者に預けるという行為をしていた。
久間の妻についても血痕・人尿痕についての公判供述では久間の母のおかわの世話をしたとか、自分が流産したときに下着が汚れていたという話を出したが、捜査段階の供述ではそのような発言はしていない。
しかし久間やその妻の供述が変化したのはこの点だけではない。久間のアリバイについても供述が変化しているのである。
久間の事件当時の行動
久間は事件当時、妻、そして小学2年の長男の3人暮らしであり、自身は就職せず、消防署職員である妻の収入と自己の年金で生活していた。平日は自分の車で妻や息子を職場や学校に送り届けており、その経路は決まったものがいくつかあった。長男はだいたい午後3時頃に帰宅する。
捜査官は久間が実際に妻と息子を職場や学校に送り届けるルートを平日に走行して確認した。すると、その経路は被害女児らの通学路と重なっており、妻の職場に8時18分すぎに到着し、その帰路に三叉路を通過する時刻は午前8時28分頃――本事件において被害女児らが三叉路で略取・誘拐された事件とほぼ一致した。更に長男が午後3時まで帰宅せず、潤野小学校から死体遺棄現場まで自動車で往復しても2時間もかからないことから、久間はこの犯行を行うことができる (アリバイが成立しない) と結論付けた。
それに対して久間は公判供述では「この日は7時55分に妻を乗せて出発し、8時10分に職場に送り届けると、福岡県山田市内の母に米を届け、その後10時5分まで母と話していた。その後自宅に戻る途中に12時半までパチンコ店でパチンコをし、午後1時頃に家に帰宅した」と供述している。しかしこれについて久間の母は月に一度米を持ってきていたという供述こそしているが、2月20日に米を持ってきたかどうかは記憶がないと発言している。また、妻は公判では「毎月19日に知人から米を買い、翌日に一部を被告人が母に届けていた。その日も朝米を車に積んでいたので、夕方行こうと久間に持ちかけたところ、もう持っていったと答えていた」と述べている。しかし捜査段階では米を持っていった日を特定できていない。19日頃に米を買って翌日届けるというのが確実ならば20日に行ったというのはアリバイとして成立するが、これについても久間からいつも19日に買っていると聞いていただけで、前後にずれたことがあるかどうかわからないと述べている。
しかもこのアリバイになる部分も、公判ではまっすぐ母のところに向かったと述べていたが、捜査段階では一旦帰宅し、その後米を届けに行ったとしている。
上記のアリバイについて思い出したとする時期
更に興味深いことに、公判ではアリバイについて思い出した時期について、2月25日に警察が来た日にアリバイがあることを思い出し、3月18日に警察の前で実母に電話もかけたが、親族の証言では駄目だからポリグラフ検査を受けるように言われたと述べている。しかし捜査段階では「アリバイがあればポリグラフ検査は不要です。ただ、家族の証言ではだめです。」と言われたが、事件当日の行動をすぐには思い付かなかったためポリグラフ検査を受けたと述べており、その後アリバイについて考えてみて思い出したと述べている。
更に、思い出したきっかけも公判では刑事が帰ったあとと述べ、妻とは事件について話もしていないと語っているが、捜査段階では妻と事件当日のことで会話をして、米を持っていったかという話で思い出したと語っている。
これらの変遷から判決では久間のアリバイは成立しないと結論付けている。また、控訴審判決では
- 遅くとも21日朝には町内放送で被害女児らの捜索を呼びかける知らせを聞いている
- 現場付近では同時間帯に検問の態勢がとられる
- これらのことから21日には誘拐事件が発生していることを知ったはず
- かつ久間の居住地域では以前にも女児の行方不明事件が発生
- しかもその行方不明事件の最後の目撃者は久間自身
- つまり久間は自分自身も疑われかねないと判断するはず
- そうなれば前日の行動について自身にアリバイはなかったか当然振り返り、その後も反芻するはず
と指摘し、これに反して久間がアリバイについて振り返ったのがあまりに遅いとしており、かつアリバイ主張の根拠も変遷していることを指摘。
したがって、被告人は当日の行動につき十分な記憶を有しているにもかかわらず、信用できないアリバイ主張をしていることになる。
福岡高等裁判所平11 (う) 第429号 - Wikisource, 2024/05/10閲覧
として久間のアリバイが成立しないとした。
死刑執行までの期間
2006年10月8日に久間の判決が確定してから2008年10月28日に死刑が執行されるまでの期間は2年である。当時は足利事件の再審の機運が高まるころであり、2008年10月17日には再審請求即時抗告審でDNA型再鑑定が行われる見通しが報じられていたころである。そんな折に久間の死刑が執行されたことは多くの憶測を呼んだ。更にその2年という期間は1993年に死刑執行が再開されて以降、最も間隔の短い執行であった。
また、弁護士ドットコムの2018年の徳田弁護士へのインタビューでは、久間が死刑囚と執行までの期間を表にしたうえで、自分の執行は先であると楽観視していたが、その1ヶ月後に執行されてしまったと述べている。こうした「スピード執行」ということから、当時総理大臣だった麻生太郎が冤罪であることがバレると政権への信頼が毀損されるという理由で久間を慌てて処刑した、という陰謀論が巻き起こったりもした。
しかし、これについて前2年からの死刑執行と、判決からの期間をリストアップするとわかることがある。
執行日 | 執行人数 | 期間 | |
---|---|---|---|
2006/12/25 | 4 | 19年5ヶ月 13年3ヶ月 7年6ヶ月 6年10ヶ月 |
|
2007/04/25 | 3 | 14年7ヶ月 7年1ヶ月 6年7ヶ月 |
|
2007/08/23 | 3 | 6年8ヶ月 6年7ヶ月 6年6ヶ月 |
|
2007/12/07 | 3 | 11年9ヶ月 4年11ヶ月 3年6ヶ月 |
|
2008/02/01 | 3 | 10年10ヶ月 3年6ヶ月 3年4ヶ月 |
|
2008/04/10 | 4 | 11年3ヶ月 3年7ヶ月 3年6ヶ月 3年1ヶ月 |
|
2008/06/17 | 3 | 3年4ヶ月 2年8ヶ月 (宮崎勤) 2年5ヶ月 |
|
2008/09/11 | 3 | 6年9ヶ月 2年5ヶ月 2年0ヶ月 |
|
2008/10/28 | 2 | 2年0ヶ月 (久間三千年) 1年10ヶ月 |
|
2009/01/29 | 4 | 15年2ヶ月 2年7ヶ月 2年7ヶ月 2年0ヶ月 |
|
2008/07/28 | 3 | 3年1ヶ月 2年1ヶ月 2年0ヶ月 |
実はこの時期は死刑囚が多くおり、鳩山邦夫元法相が死刑の自動執行を打ち出していた。最初は19年などの刑期の長い死刑囚から対象になっていたが、やがて3年等の刑期の短い死刑囚が対象になるようになっていった。これは当時は再審請求中の者は執行しない慣行だったためである (なお20年代からは第一次再審請求中でも執行されるケースが出てきている) 。
マスメディアでは「久間三千年は再審請求準備中に死刑が執行された」などと報道されることもあるが、再審請求準備中というのは要は再審請求していないということであり、よって次の執行のリストに載ったということになる (実際、第一次再審請求がなされたのは久間の死刑執行後である) 。久間同様に2年代で執行されている死刑囚も前後にかなり多く、久間と同じタイミングで、久間より短い1年10ヶ月で執行されている死刑囚がいるため、取り立てて久間が短いということもない。弁護団が久間と話した1ヶ月後執行、という話についてもその直近でも2年0ヶ月で執行された者もいた。
ついでに言えば、久間と同種の犯罪で死刑判決が出た東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の実行犯であり、読者諸賢らにも知られたところであろう、あの宮崎勤も久間の処刑の4ヶ月前に、やはり2年台で執行されている。このことから見ても弁護団は久間の番が早期に来ることを予見できたはずである。
29年越しの新証言
事件から29年が経過した2021年に、電気工事業の72歳男性Kが「白い車を見た」という証言を行った。この男性は事件のあった2月20日に八木山バイパスで、女児2名を乗せた白い車を見ていたというのである。運転手も見たが元死刑囚とは別人であったという。
この目撃談は2月20日の11時頃で、男性Kは売掛金の回収ができなかったことに腹を立てており、そんな折に前方の白い車が遅く走っていたため、それを追い抜かしたという。そのときにどんな者が運転しているのかと見たところ、坊主頭の細型の色白のドライバーが運転しており、後部座席におかっぱ姿の女児がランドセルを背負ったまま乗っており、もうひとりの女児がランドセルを置いて横たわっていたという。
その日の夜に女児2名が行方不明になったというニュースを見て、翌日警察に電話したが、その後警察が来たものの簡単な質問をして帰ったという。男性Kは八木山バイパスの監視カメラも確認すべきと主張したというが、裁判では八木山バイパスの監視カメラについての資料は出ていなかった。男性は第一審のときに裁判を傍聴しており、犯人と久間とは違う人相であったが、DNAの話で久間が犯人だという話でその場では新たな証人として名乗り出なかったが、その後DNA鑑定が証拠として崩れたとして出てきたというのであった。
弁護団は新たな証拠としてこの男性の証言を提出。男性は実名も顔も出して記者会見も行っている。
しかしながら、この証言はとある点で証拠としては弱いのではないかと指摘する者もいる。これは死亡推定時刻からくる。女児A・Bの胃の内容物から、2名の死亡推定時刻は20日9時30分以前とされている。これより、11時に目撃したというこの証言は無理がある、とするのである。
警察が証人Kの証言を詳しく調べていない可能性も言及されているが、当時は事件にあたってさまざまな報道がなされたなか、目撃者が多い紺色のワンボックスカーの方を優先した結果、死亡推定時刻からも外れた証人Kの証言までは調べていないのかもしれないし、調べたうえで関係がなかったので裁判で提出しなかったのかもしれない。
コラム:証人Kの証言と八丁峠証言の比較
さて、証人Kの証言は他にも違和感がある点がある。ここでは、弁護団や冤罪支持派が疑問視する八丁峠証言と比較してみよう。
証人Kの証言 | 八丁峠の目撃証言 | |
---|---|---|
目撃からの期間 | 弁護団が証言を証拠として提出したのは事件から29年後 | 警察が森林組合職員Tに事実確認をしたのは2週間後 |
犯人と思われる車輌と目撃者の位置関係 | 上り坂車線で追い抜きざまに | 反対車線に停車している車をすれ違いざまに |
車通り | 福岡市に向かうバイパス道路であり、往来はそれなりにある | 冬季は車通りがほとんどない |
追い抜きざまにとなると、前方の車より速い速度で走る必要があり、目撃にあたってはかなり短い時間になるしそこまで詳細に見ることが難しいだろう。追い抜いたあと減速するなら話は別だが、証人Kは当時でも42歳であり、そんな追い抜いた車に喧嘩を売るような運転をするとは考えにくい。一方、八丁峠証言の場合は向かいの停車している車を目撃したというものであり、かつ対向車があまりこない道、乗りなれた車、自分にとっては職場とも言える森林となればそこまで安全に運転するに当たり注意を払う必要はあまりない。
加えて往来が多いということは、特段そのような場所を女児2名を乗せた車が走っていてもおかしくないということでもある。平日11時に福岡市に向かうバイパス道路に、小学生を乗せた車が向かう理由なら「家族が病院に搬送された」「子供の急な体調不良」「子供がスポーツや音楽に打ち込んでいるため早退」などいろいろ考えられよう。
加えて言えば、八丁峠証言については弁護団も冤罪支持派も2週間後に警察の聞き込みがあって正確だとするのはおかしいと指摘する (同僚Jに事件翌日・翌々日にも森林組合職員Tは目撃談を話しているため、判決ではおかしいとは見なされていない) 。一方証人Kは29年後に出てきており、29年もあれば記憶に変質があってもおかしくない時間経過である。
また、証人Kは第一審判決を傍聴していたというが、その割にはDNA鑑定が判決の決め手になったと言う話をしている (実際は上述の通り、第一審判決の時点でMCT118型鑑定はほとんど証拠としては弱いとされていた) 。傍聴をしていたのであれば裁判において久間を有罪と断定した証拠はMCT118型鑑定ではなく、他の証拠の組み合わせであったことを知っていたはずであり、久間が自分の見た人間と風貌が違うというのならばその場で申し出てもいいのではないか、と指摘する者もいる (参考) 。
余談
- 本事件は足利事件や袴田事件といった他の冤罪が疑われている事件と異なり、日本弁護士連合会 (日弁連) が支援する再審事件には含まれていない。2014年3月31日に日弁連会長 (当時) の山岸憲司が福岡地裁の飯塚事件再審請求棄却決定に対して声明を発表したのみである (参考) 。
- 北九州監禁連続殺人事件の犯人・松永太は拘置所で面会したジャーナリストに対し飯塚事件を引き合いに出し、無罪であるはずの久間が死刑になったとして裁判は出鱈目であると主張していた (参考) 。
関連リンク
判決
各種考察
- 飯塚事件 - Wikipedia
- 飯塚事件 - Enpedia
- 飯塚事件 - Yourpedia
- Tamagoの事実探求 - YouTube
- 飯塚事件の考察(6) 「新証言」の信頼性は?弁護団の矛盾 | 40代女の闘いの日々。
- 弁護団が主張する新事実について検証します その2(被害者はダッシュで三叉路を駆け抜けた?) | 飯塚事件について考えること - 楽天ブログ
- 袴田事件と飯塚事件の違い | 飯塚事件について考えること - 楽天ブログ
- マツダウエストコーストのシート生地(織布)について | 飯塚事件について考えること - 楽天ブログ
- 市民による目撃証言について 事件発生当時の報道を見る | 飯塚事件について考えること - 楽天ブログ
- 飯塚事件は冤罪なのか 1/3 | ことりのさえずり
- 飯塚事件は冤罪なのか 2/3 | ことりのさえずり
- 飯塚事件は冤罪なのか 3/3 | ことりのさえずり
- 飯塚事は冤罪なのか 4 (最後の目撃者) | ことりのさえずり
- 飯塚事は冤罪なのか 5 (最後の目撃者) | ことりのさえずり
ニュースサイト
- #029 "無実"にどう向き合ったか~検証 飯塚事件30年~【2022/3/27放送】|目撃者f|FBSムービー
- 「飯塚事件」の再審請求を棄却 福岡地裁 :日本経済新聞
- 〈飯塚事件〉死刑執行後の再審、最高裁も認めず/弁護団の主張に向き合わないまま – 刑事弁護オアシス
- 【飯塚事件】弁護団は「新証拠で“ある疑問”が解消」状況証拠の一つが崩れるか 裁判のやり直しの可否は6月5日に決定へ 福岡|FBS NEWS NNN
- 飯塚市の潤野小、歴史に幕 4月開校の小中一貫校に統合 閉校式「心の中にいつまでも」|【西日本新聞ニュース】
- (6ページ目)通電、監禁、肉体関係……連続殺人犯はこうして女性を洗脳して“獲物”に仕立て上げた | 文春オンライン
その他
関連項目
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