飯塚事件単語

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飯塚事件とは、1992年2月20日福岡県飯塚市で発生した誘拐殺人事件で、小学1年生女児2名 (以下、女児A・女児B) が投稿中に行方不明となり、翌21日に同県甘木 (現・朝倉) の八丁で他殺体として発見された。

事件から2年後の1994年久間三千年犯人として逮捕・起訴され、2006年死刑となる。久間は逮捕以前から冤罪であるとしていたが、2008年死刑執行現在は久間の妻が再審請を行っている。この事件ではかの足利事件でも争点となったMCT118鑑定が使われたことや、言の正当性が疑われたことなどから冤罪事件ではないかと言われ続けている一方で、冤罪ではないとする立場を取る者もいる。

本記事では事件の流れと争点となっている部分について解説するものとする。



概要

1992年2月20日福岡県飯塚市飯塚市立潤野小 (2018年に小中一貫校飯塚鎮西校に統合され校) の1年生女児2名が登校途中にって行方不明となり、帰宅しなかった。翌21日に行方不明現場から20km離れた甘木の八丁自動車で走行していた52歳の男性が小用を足そうとから降りたところ、崖下に2体のマネキンのようなものが捨てられているとして警察通報警察が確認すると、前日に行方不明となった1年生女児2名であることがわかったのであった。

2名は上半身は衣服を着用しており、下半身もスカートは着用していたものの、下着は脱がされていて外陰部は露出しており、性的ないたずらを受けた跡が認められた。また、2名の解剖より、の内容物から死亡定時刻は20日9時30分以前とされた。一方で、内や衣服、周辺からは犯人のものと思われる血は見つかったものの、精液は見つかっていない。

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女児の足取り

事件前日夕方頃、女児Aは家族飯塚市カラオケボックスで焼きそばおにぎりフライドポテトを食べ、カルピスを飲んだ。翌日 (事件当日) 、ご飯明太子を混ぜて食べ、お茶を飲み、咳止めシロップを飲んでいた (つまり体調不良であった) 。また、女児Bは前日夕方頃、寿司を食べ、翌日 (事件当日) 、いちごミルク入りのカステラロールを食べ、ヤクルトを飲みを出ている。

事件当日、女児Aは黄色ジャンパーを着用し、赤色ランドセルを背負って、2月20日同級生女児Kとともに、女児B宅までBを呼びに行き、3人で潤野小学校まで登校し始めた。しかしぐずぐずしていて8時過ぎごろになっても女児B宅近くから離れなかったため (前述の通り女児Aは体調不良) 、女児Kだけが先に行ってしまったため、女児Aと女児Bはふたりきりになった。なお、女児B宅から潤野小学校までの通学路は距離にして約1420m、所要時間は子供の足で20 - 25分程度である。つまり女児Kはぐずぐずしていてこのままでは遅刻してしまうと判断し、女児Aと女児Bを置いて行ってしまったのである。

8時10分頃に女児B宅近くでしゃがみこんでいるところを、女児Aの知人Lに撃されている他、8時22分ごろに女児B宅から575mほど進んだバス停付近でいかにも学校に行きたくないという表情でとぼとぼ歩いているところを女児Aの知人Zに撃されており、更に午前8時30分頃女児B宅から937m進んだ付近の三叉路農協職員Dに撃されているが、その数分後に同じ三叉路を通ったVは撃していない (三叉路の目撃証言を参照) 。

Aの実は、Aの祖母病院に送るために8時45分にで出発し、バス停先までは女児2名と同じ通学路を通行、その後南下して病院に送ったあと、再度8時55分頃通学路に戻っているが、同じを通過する女児Aは見ていない。また、潤野小学校図書館書補助員Gは顔なじみのBが登校していないことを聞いて、女児Bらを探すために通学路を逆行しているが、発見できていない。

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捜査の流れ

の際に、甘木森林組合職員から、遺留品遺棄現場で不審車輌を見たという情報提供されている。3月9日には事件当日の11時ごろに八丁を下る際に、ダブルタイヤに色付きフィルムを貼っている紺色のワゴンが停しているという情報が得られた。また、女児通学路にいた造園業者からも同種の紺色のワゴンを見かけたという言もある。彼らの言ではいずれもマツダワンボックスタイプのワゴン (ボンゴ) であり、マツダ独特の濃紺色・後輪ダブルタイヤであったこと、更に後部座席にフィルムが貼ってあるというものであった。

こうした紺色ゴンの所有者はこの近隣で久間三千年以外に9名いたが、いずれも事件当時にアリバイが成立していた (また、色付きフィルムも貼っていなかった) こともあり、このことから久間は重要参考人としてマークされることとなる。なお、久間はこの際に捜員の尾行をまいたり急ブレーキをかけるなどして挑発的な態度を示すようになっている。

その後、MCT118鑑定で女児内やその周辺に存在していた血から採取された第三者の血液血液型MCT118が合致したことから、久間が犯人である疑いは高まったものの、別の専門にも鑑定を依頼したときに「微量ではっきりしない」と回答されたため、この時点では逮捕に至っていない

1992年9月末頃、久間は所有車輌 (マツダウエストコースト) を売却した。久間をマークしていた警察は当然その車輌を直後に中古販売店から押収したが、内は異様なほどに掃除されていて、毛なども発見されていなかった。(久間が内を頻繁に拭きし、後部座席を取り外してホースをかけて洗浄したりしているということもあり) 第一審以前の技術ではDNA検出できなかったものの、この時点で後部座席とフロアマットから尿反応と血液反応 (女児Aと同じO型) は認められていた。

1993年9月29日に県警捜一課と飯塚署の巡査長が久間宅のゴミ袋を拾うなどしてに乗ったところ、久間が「何をしているか」と言って渡り15cmの刈り込みバサミで切りつけて全治5 - 10日の怪をさせたため、福岡県警は傷暴力行為の疑いで久間を緊急逮捕した。しかしこの時点でもなお久間を女児2名の殺での取り調べはなされず、久間は罰10万円の略式命を受けるのみにとどまっている。

1994年6月、捜官が新たなDNA鑑定法の開発を知り、再度内を捜索したところ、繊維鑑定で切り取った部分と接する部分に変色があった。東レに鑑定で切り取った部分について照会したところ、当初からシミがあったことが確認されていたため、このシミについて鑑定が行われた。これはなお第一審時点では結論こそ出なかったが、後の控訴審時点でTH01・PM検法によってその被害者DNAと同一のが検出されている。

同時に、女児衣服に付着していた微量の繊維片についても科学鑑定したところ、久間の所有車輌シートと繊維が一致することも突き止めた。この、「繊維が一致する」ことが決め手となって久間は1994年9月23日死体遺棄容疑で逮捕される。更に10月14日には殺人容疑でも逮捕。この日に死体遺棄罪で起訴され、11月5日殺人罪、略取・誘拐罪でも追起訴されることとなる。

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判決

裁判では久間とその弁護団は一貫して無罪していたが、1999年9月29日に第一審で状況拠を評価し死刑判決となった。2001年10月10日、控訴審でも新たな拠を加えたうえで状況拠を評価し死刑判決となる。

2006年9月8日、上告棄却。10月8日に久間の死刑が確定する。

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死刑の執行とその後の出来事

2008年10月28日に、久間の死刑執行される。死刑確定から執行までの期間は2年であった。この時点で久間は70歳であった。死刑執行の際も久間は自分はやっていないと怒鳴っていたとされている。この死刑執行1993年死刑執行が再開されて以降、最も間隔の短い執行であった。

2009年に久間の妻は福岡地裁に再審請をした。この再審請では「本田筑波大学教授の鑑定書等から科警研のDNA鑑定のが否定される」「足利事件が再審判決になったことから、科警研のDNA鑑定のが否定される」「厳島教授実験に基づく鑑定書から八丁言の信用性が否定される」というのが弁護団の趣旨であった。

しかし福岡地裁は2014年、弁護団による「柱となる拠はTの撃供述及び科警研による鑑定である」というに「判決の有罪認定拠構造を正解したものとはいい難い」と判示した上で、上記3点についても否定したうえで再審請を棄却。

弁護団は更に福岡高裁に即時抗告を行うも、こちらも2018年に棄却。更に最高裁に特別抗告を行ったがこちらも2021年に棄却されている。

この第一次再審請が棄却されたことを受けて、久間の妻は電気工事業の72男性Kの言を新拠として福岡地方裁判所に2度の再審請を行う (この『新言』については、29年越しの新証言で扱う) 。この第二次再審請の際の2024年2月16日に最後の撃者とされる女性言を翻したという報道もなされた (こちらは三叉路の目撃証言にてその言を翻したという内容が重要になりうるか検討を行う) 。

2024年に、本事件を扱った木寺一孝著『正義行方 (講談社)』が刊行され、かつ同年4月映画化がなされた。この映画NHK2022年BS1で放送した『正義行方〜飯塚事件 30年後の迷宮〜』に基づいており、NHK制作している。

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久間三千年の人物像

久間は1938年1月9日生まれで、事件当日は54歳であった。当時久間は定職につかず妻の送迎以外は時々パチンコ店で遊ぶ毎日であったといい、いわゆる専業夫という形であったようだ。妻・長男飯塚市に居住しており、事件当日は母親とは別居していたが、逮捕時は母親とも同居して4人暮らしになっていた。

久間本人は被害女児を知らないと答え、女児2名が知らない者のに乗るわけがないとしていた。確かに女児2名のうち片方の学校教員であり、知らない人のに乗ってはいけないと強く教育されていたこともわかっているが、一方で久間は「ザリガニおじさん」と呼ばれ、近所の子供たちにも好かれていたことが明らかとなっている (参考exit) 。

久間は弁護団からは穏やかな人柄であり、死刑判決が出たあとも弁護団がく再審請をしなければと焦っていた際に、死刑囚と判決からの期間のリストを作っていて「私より前に判決が出て執行されていない人がこんなにいる」として焦っていなかったとも言う。

過去に久間宅を訪れていた小学生女児行方不明になる事件があった。その女児は久間の長男友人であったが、久間が最後の撃者であった。この件は後の控訴審において、久間のアリバイがあやふやなことに対しての摘の際に触れられている。

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報道と実際の裁判の論点の比較

この事件について、おそらくだいたいの読者諸賢らはこの記事を見る前から飯塚事件については見聞きしていたもののほうが多いだろうと推察する。というのも、本事件は報道において、「冤罪だったのではないか」と繰り返し投げかけられる事件であり、冤罪の可性がある事件として著名な事件のひとつだからである。そして、冤罪だった場合に「久間三千年が既に死刑執行されてしまっている」という取り返しがつかない事件である。他に死刑が確定しているが再審請が行われている事件は非常に多いが、冤罪の可性が示唆される事件であり、かつ久間が既に執行済というのはなかなかセンセーショナルである。冤罪であった場合、「国家辜の人間の命を奪った」ということになる。

そして――だからこそ繰り返し報道されているわけだが、ここで報道における論点を、裁判において争われた論点と較してみたい。本事件における判決を整理すると、裁判において久間が有罪とされた (=女児2名を殺、略取・誘拐、死体遺棄した犯人だと断定するに至った) とする根拠として言及されたものは以下の7つである。

ではこれらの論点はマスメディア報道ではどう評価されているのか見てみよう。本件について扱ったニュースサイトの記事を、まずは2024年2月15日以前に絞って見てみたい。「○」は強く言及しているもの、「」が言及はあるが軽い扱いになってしまっているものである。

報道 D
N
A









尿





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ではここから、次は2024年2月15日以降について見てみよう。

報道 D
N
A









尿





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2024年2月15日は、最後の撃者とされる女性言を撤回したということが弁護団より開された日である。これ以降の報道までは、三叉路言についてはほぼ触れられないか、あっても「そういう言がありました」程度の軽い扱いでしかないのである。

基本的にはDNA鑑定の話が特に言及され、その次に言及されているのは八丁言と言う形になる。これは各局で制作されたドキュメンタリーでも似たような傾向になり、ほとんどがDNA鑑定と八丁言についてそれが正しいかどうかについて議論している。ではなぜこうなるのかという点を次項で考えたい。

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『二本柱』説の評価

基本的に飯塚事件の大きな争点はMCT118鑑定と八丁言である、というのがマスメディア報道の趣旨であることもわかる。これはマスメディア報道が基本的には弁護団のに拠っているためである。第一次再審請の際も弁護団があげた趣旨はDNA鑑定 (特にMCT118鑑定) のが否定されるということと、八丁言が撃した時間に対して詳述過ぎるとして、警察に誘導されたものであり信用性が否定されるという点を挙げている。三叉路言については2024年2月15日になるまで言及回数は非常に少なく、あまり重要視していなかったようにそれまでの報道からはえる。

では、実際は上記の7つの根拠はどのように扱われているのか、判決文及び再審請棄却決定について、該当箇所を引用して評価してみたい。

根拠 評価
MCT118型鑑定

犯人が1人であると仮定した場合の犯人血液型DNAを併せた出現頻度は約266人に1人の割合という程度であるに過ぎず、血液型DNAの出現頻度のみでは、犯人と被告人とを結びつける決定的な積極的間接事実とはなりえない。


福岡地方裁判所平6 (わ) 第1050号、平6 (わ) 第1157号 - Wikisourceexit, 2024/05/06閲覧

いずれにしても、HLADQαが検出できるだけの犯人由来のDNA量が得られなかったために、これが検出ができなかったにすぎないことが考えられるのであって、所論のように犯人が1.3-3を持たない者であるとの合理的な疑いを抱かせるものとはいえない


福岡高等裁判所平11 (う) 第429号 - Wikisourceexit, 2024/05/06閲覧

本田鑑定書等によって、科警研による鑑定のうち、酒井笠井鑑定等のMCT118鑑定のについては、より慎重な評価をすべき状況に至っているが、だからといって、それだけで直ちに、確定判決における有罪認定について合理的な疑いが生じるということはできない。


福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号 - Wikisourceexit, 2024/05/06閲覧

八丁峠の目撃証言

この時点では、T田が被告人を見せられていないことは明らかであるから、T田の前記判供述のうち、右供述と合致する部分については、T田が当初から一貫して供述しているという点からも十分に信用することができる。


福岡地方裁判所平6 (わ) 第1050号、平6 (わ) 第1157号 - Wikisourceexit, 2024/05/06閲覧

また、累次の供述にもかかわらず、その内容は当初から基本的に変わらないこと、被告人を撃したかどうかについては面通しを受けても同一性を識別できない旨供述し、撃した人物の年齢を若く供述するなど、被告人が犯人であるとすれば異なることになるような内容を含めて供述していることなどからしても、T田記憶に従い誇もなく供述していることに疑いを差し挟む余地はないと認められる。


福岡高等裁判所平11 (う) 第429号 - Wikisourceexit, 2024/05/06閲覧

以上の理由から、第2次鑑定書、K3報告書及びK1報告書には、いずれも、明性は認められない。


福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号 - Wikisourceexit, 2024/05/06閲覧

三叉路の目撃証言

本件当時、飯塚警察署管内に居住又は所在し、かつ、被害児童が失踪したE三叉路付近道路自動車で通行する可性があって、紺色ワンボックスタイプで後輪がダブルタイヤマツダを使用していた被告人以外の者9名には、いずれも本件当時のアリバイが成立し、かつ、これらの者が使用していたマツダガラスにはいずれも色付きのフィルムが貼られていなかったというのである。


福岡地方裁判所平6 (わ) 第1050号、平6 (わ) 第1157号 - Wikisourceexit, 2024/05/06閲覧

W田及びX田が拐取現場付近で撃した車両に関する供述内容については、十分な信用性が認められるというべきである。


福岡高等裁判所平11 (う) 第429号 - Wikisourceexit, 2024/05/06閲覧

繊維鑑定

被告人の座席シート(助手席を含む全部の座席)に使用されている織布(S-TYR313X、以下「本件織布」という。)は、マツダが、ウエストコーストのマイナーチェンジに際して、ウエストコースト専用に開発したものであって、昭和57年3月26日から昭和58年9月28日までに製造されたウエストコーストの座席シートにだけ使用されており、他のマツダには一切使用されていない(甲120)

(引用者中略)

本件被害当日B山が身に着けていたチェック模様入りスカートは、母親が犯行日の前日飯塚市内の店舗で新品を購入し、被害当日の包装を開いて初めて着用した (引用者中略) その他の機会に付着した可性はない。


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B山は、スカートトレーナーの新品を当日の包装されていた袋から取出して初めて着用していたこと、A田もよく洗濯されたものを着用していること、両名は徒歩で登校中のところを拐取され、その後数時間のうちに殺遺棄されていることからして、これらの衣類に付着した繊維には犯人車両の座席シートに由来するものが多いと推定されるところ、関係拠によれば、付着繊維には、マツダウェストコーストの座席の模様を構成する繊維の色である焦げ、だいだい、薄の各色繊維が多数付着していることが認められ、しかも、各色の付着繊維の数もそれぞれの色の座席に占める色の広さの順に存在していることが認められるのであって、これだけでも特異な事実というべきである。


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所有車輌の血痕・人尿痕

右各供述の信用性に疑いを差し挟むような事情は何ら存せず、これらの供述によると、被告人内の血及び尿はS田S男が被告人を使用している間に付着したものではないと認めることができる。

次に、S田S男が被告人を下取りに出してから被告人がこれを購入するまでの経路は前記認定のとおりであって、この間に被告人に血及び尿が付着したことをうかがわせるような拠はない(なお、P山は、被告人を被告人に引き渡す前に内をきれいにしているが、このとき怪をした記憶はないと供述(甲509)している。)。さらに、捜機関は、被告人が被告人を下取りに出したその日にこれを押収している。

これらのことからすると、被告人内の血及び尿は、被告人が被告人を使用していたときに何らかの事情で付着したと認めるのが相当である。


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関係拠によると、A田の死体からは鼻血を出していたことが認められ、着衣にはそれが滴下したことを示す跡が認められる。A田の鼻血が座席等に滴下したとすれば、被告人内からA田のみの血が発見され、犯人やB山の血が発見されないことを合理的に説明することができるというべきである。


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亀頭包皮炎

また、頭包皮炎の状態等について族らに話してその内容をテープに録音したという部分は、極めて具体的であって、迫真性に富んでいる。

これに対して、平成3年11月末ころには頭包皮炎が全によくなったという被告人の判供述は、捜段階では供述していなかったことを突如として判で述べるものであって、その信用性には疑問がある。

右のように被害児童2名の内容等に犯人に由来すると認められる血液等が混在していた理由として、被告人が犯人であるとするならば 被告人が本件当時糖尿病による頭包皮炎に患していたため、被告人の頭が被害児童の等に接触した際の刺によって出したものであるとして、合理的に説明できるのである。


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久間のアリバイ

このように、被告人のアリバイに関する供述は、その内容、アリバイ思い出した時期とその契機について、いずれも捜段階と判段階とで変遷しており、アリバイを裏付ける拠もないのであるから、信用できない。

よって、被告人にアリバイは成立しない。


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被告人の居住区域では以前にも女児行方不明事件(昭和63年12月愛子ちゃん事件)が発生し、被告人は町内会長としてその捜に協しているが、最後の撃者として自分自身も強く疑われかねない事情もあったことがうかがわれるから、被告人としては、本件の発生に頓着でいられるはずはなく、本件の発生状況を知った際、直ちに犯行時刻ころの自分の行動につき確かめ、そのするようなアリバイに当たる事実があれば、これで自分は疑われなくて済む、という安堵を伴う強な印をもってその事実を再確認し、裏に焼き付けることになったはずであり、当日現場付近を通行していたならば、その際の状況、経路等につき想起してその後の行動を含めて明確かつ事細かに記憶にとどめたはずであって、その後も折に触れ反すうし、詳細な記憶となるというのが、被告人の心理状態に合致するものといえる。

これに対し、被告人は、その後いろいろと思い返しているうちに、母親の自宅にを持って行っており、アリバイがあることに気付いた、と供述しているのであるから、その想起の過程について供述するところは不自然というほかはないものである。


福岡地方裁判所平6 (わ) 第1050号、平6 (わ) 第1157号 - Wikisourceexit, 2024/05/06閲覧

ここから読み取れることは、確かに八丁言については飯塚事件において重要な拠としていることがわかる。しかしこの八丁言と同じくらい、三叉路言、繊維鑑定、血・人尿頭包皮炎言、アリバイの不成立についても述べており、同じ程度に重要な拠としていることがわかる。再審請棄却決定の際も、「MCT118鑑定と八丁言が成立しないとしても、他が成立するならば刑事訴訟法435条6号の再審事由があるとはいえない」としている。

逆にMCT118鑑定については第一審から「犯人と被告人とを結びつける決定的な積極的間接事実とはなりえない」と積極的な拠として採用することを避けており、控訴審でも「疑いを抱かせるものとはいえない」と「久間が犯人ではない拠にはならない」という言い方にとどまっている。当初からMCT118鑑定については「久間が犯人である拠だ」とは言っていないのである。

更に、福岡地裁は第一次再審請に対する棄却決定時にはこう判示している。

この点について、弁護人は、確定判決が情況事実明する拠として挙げるもののうち、柱となる拠はT田撃供述及び科警研による鑑定であり、これらの信用性等が否定される結果、その余のいかなる情況拠を総合したところで、事件本人を犯人と認めることはできない旨するが、これは、上記のような確定判決の有罪認定拠構造を正解したものとはいい難いし、弁護人が提出する新拠によっても、T田撃供述及び上記MCT118鑑定を除く科警研による鑑定の信用性等が否定されないことは前記のとおりであるから、弁護人の上記は採用することができない


福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号 - Wikisourceexit, 2024/05/06閲覧, 赤字強調は引用者による

八丁言についてはともかく、MCT118鑑定については積極的な拠として採用せず、「被告人を犯人ではないとする理由にはできない」「他の拠が成立する限り再審の理由にならない」と判決でも決定でも言及されており、そのうえでこれを発言している。すなわち、MCT118鑑定については裁判官はあまり争点と考えていなかったことになる (一応述べておくが、第一審判決からすると検察は強い拠と考えていたようではある) 。

このため、「MCT118鑑定は誤りがあった可性が高い」「しかも試料が使いつくされてしまったため再鑑定できない」という弁護団のにも「確かにその通り」「再鑑定できないことも確かにあまり褒められたものではない」と一応は認めているものの、他の拠を弁護団が突き崩すことができていない以上はあまり問題ではない、という回答をしているのである。

しかしマスメディアは先述の通り弁護団のに拠って報道しているため、一般の者は裁判でなぜ久間が有罪とされたのか、と問われるとMCT118鑑定と八丁言を挙げるであろう。2021年に新言としてを見たという男性が弁護団といっしょに記者会見を行ったが、この男性2023年マスメディアの取材に対して以下のように発言している。

あの当時のDNA鑑定は初期のDNA鑑定で、DNA鑑定が第一の拠。それが私はもう全に崩れたと。それがはっきりしたから、尚更をあげていろんな場に出てきた


飯塚事件から31年 新たな目撃証言 「白い車に女児2人」 2度目の再審請求申し立て 福岡県|ヨテミラ!exit

実際には裁判においてMCT118鑑定は第一審の時点で「第一の拠」どころか「積極的な拠にならない」とかなり評価が低かったのだが、第一審から24年経過した今なお「久間が有罪とされた理由はDNA鑑定である」という印が多くの者にくっきりと存在しているのである。

コラム:判決から見えてくるMCT118型鑑定の扱い

たとえば読者諸賢らが友人から、「パソコンでこのソフト使えるかな?」と質問されたとする。おそらく読者諸賢らはその者のパソコンがどのOSを搭載していてバージョンはなんであり、どんなCPUを搭載し、メモリの容量はどれくらいで、ケースに拠ってはグラフィックボードの搭載の有も確認するかもしれない。

かしこのときその者が「えーと、パソコンDynaBookで」と発言したとしても、おそらく読者諸賢らは気にもとめないだろう。なぜなら、当該パソコンで当該ソフトウェアが使えるか否かという情報に、パソコンを販売したメーカー情報は全く必要ないからである。それが仮に記憶違いでFMVであったり、ASUSLenovoだったとしてもOSCPUメモリ等の情報が正しい限り回答に差異はないからである。

正直なところ、裁判官が判決文で言いたいのはそういうような意味合いである――MCT118鑑定が正しかったとしても間違っていたとしても、他の拠だけで十分に有罪判決を下す根拠があり、しかし事実としてMCT118鑑定を科警研が実施したうえで検察が拠として提出している。そして再審請では逆に久間の妻と弁護団が疑義を呈している以上、一応はその鑑定について議論はしないといけないという理屈で上記のように「積極的な拠としては採用できない」「逆に久間が犯人ではない拠にもならない」という表現をしたわけである。読者諸賢らも、仮に友人が自身のPCを販売したメーカーを述べたからといって「そんなとこはどうでもいいから」といちいち摘はしないだろう。そんなことを発言すれば、相手の心が悪くなるだけである。

△Menu

MCT118型鑑定

本事件でMCT118鑑定が注される大きな要因の1つが、これがとある冤罪事件でも拠として採用されていたからというのがある。何を隠そう、足利事件である。

1990年栃木県足利市パチンコ店で父親パチンコをしていたところ、当時4歳の女児行方不明となり、その後遺体となって発見された殺人死体遺棄事件であるが、翌年に事件と関係だった菅家利和が逮捕・起訴され、期懲役の判決で役していた。しかし、遺留物のDNA2009年の再鑑定で菅家のものと一致しないことが判明。菅家は一転実であったことが分かった。菅家は釈放され、再審で無罪判決が言い渡された。

この再鑑定に至るまでの機運が盛り上がっていた2008年に久間の死刑執行された。この結果、「事件の捜に誤りがあったことを隠すための口封じだ」とする説まで流布されるに至った。

さて、ここで足利事件と飯塚事件を較して検討してみよう。

足利事件 飯塚事件
MCT118鑑定は逮捕の決め手となったか 決め手になった 決め手にならなかった
MCT118鑑定は有罪判決に大きくを及ぼしているか 事実MCT118鑑定のみで期懲役判決となった 7つある拠のうち評価はかなり低い
MCT118鑑定は何で行われたか 被害者衣服に付着していた精液 被害者内から採取した血液
(当然被害者血液と混淆)
ダーマカーの変更による再計測 123基マーカーで計測した鑑定結果をアレリックダーマカーで再計測したところ、犯人中の人物のDNAが一致しないことが明らかになった (この時点で上告審まで終わってしまっている) 控訴審時点でアレリックダーマカー検証されている

足利事件における『事実MCT118鑑定のみで期懲役判決となった』というのは、足利事件の他の拠として採用されているのは菅家本人の自 (それも強要されたもの) であるためである。一方飯塚事件ではそもそも久間は否認し続けていた。

また精液に含まれる精子血球はDNA情報が多く含まれるが、血液に含まれる血球にはDNA情報はあまり含まれない。このため、科警研が使った残りの試料を、その後第三者である帝京大が鑑定した際にはDNAがあまり検出されなかった。そもそも精液とことなり被害女児DNAも混ざるだろうから鑑定は困難ではないかという話さえある (参考exit) 。

足利事件ではDNA鑑定のやり直しをめる要を認めておらず、その後漸く菅家役中にやり直しを行った結果違うことが分かって再審に繋がっている。一方飯塚事件では控訴審の時点でアレリックダーマカーによる検証も行われているうえ、そこまでしてもMCT118鑑定を積極的な拠として採用してもいない。これはそもそも鑑定で使った試料の問題もあろう。飯塚事件の試料は被害女児内から採取した血液であり、当然被害女児血液と混ざってしまっている。逮捕の決め手になったのも繊維片の鑑定結果となっており、MCT118鑑定は逮捕の決め手にも、有罪の決め手にもなっていないのである。

コラム:弁護団によるMCT118型鑑定への疑義について

弁護団はMCT118鑑定について

している。

しかし、上2つについては検察は最初からネガフィルム全体を拠として提出しており、その上で久間のDNAと思われる部分を見やすくするために拡大した写真を鑑定書に添付しただけである。また、弁護団が犯人のものだとする、「カットされてしまったバンド」についてはエキストラバンドであると第一審の時点で説明している。にも関わらず、弁護団は再審請、つまり上告棄却後のタイミングで検察は捏造竄したとしている。

また、「DNA判定は100回は出来たと法医学者が発言している」とする弁護団のにも裏付けとなる出典がない。他の法医学者の発言については再審請の趣意書などにおいて必ず弁護団は出典を示しているため、この発言のみ出典がない理由は不明。

最後の足利事件の再審判決を理由に科警研のDNA鑑定のが否定されるという点についても、上述の通り飯塚事件は控訴審で別のラダーマカーによる再計測を行っているし、「あちらが駄だから駄に決まっている」という論そのものに妥当な論理はない。個別にが否定される理由を述べなければならない。

もっとも、これらがすべて妥当であったとしてさえ、そもそもMCT118鑑定は飯塚事件の積極的な拠として採用されていないので、判決を覆しうる要素にもならないというのが裁判所の再審請棄却決定の趣意である。

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八丁峠の目撃証言

弁護団がもうひとつ飯塚事件の核として考えているのが八丁言である。

この八丁言は、まさに事件当日、遺体が発見された場所において、紺色ゴン撃されていたという言である。内容は詳しく記すと以下の通りである。

人Tは1992年当時、福岡県甘木森林組合に勤務しており、山所有者から委託を受けた作業の現場監督写真などの業務を行っていた。2月20日午前11時頃、仕事から組合事務所に戻る途中、八丁の反対線の道路上に紺色ワンボックスカーが対向して停しており、助手席横付近の路肩から中年の男が歩いてくるのを発見した。停位置がカーブであることや男の様子から不審に思い、横を通り過ぎた際に振り返って見たところ道路側に背を向けて立っていたのが見えた。

男は

していた自動車

判では述べている。

裁判では、これに先立つ警察官調書においても、

と述べていることから、T言の一貫性を疑っていないほか、Tが現場について日記にまとめる性格であり、日付についても争う余地がない (Tの日記においてその現場に行ったのは2月20日の他は2月12日3月4日3月2日には警察事実を供述したうえで3月4日には現場に警察官を案内している) としてこの拠を概ね信用している (ただしサイドモールの有マツダと断定した部分については被告人を見せられたことによる記憶の変容を否定していない) 。またTが説明した男の貌についても警察官への供述とあまり変わらないことを理由に信用性があるとした。

しかし弁護団はTの言が短時間で見た内容にしては詳細すぎるうえ、警察にTが供述するまでには日数が経ちすぎているとして、供述において警察による誘導があったのではないかとした。それにとどまらず、実際にそれだけのことを記憶して置けるか、2000年に八丁心理学者による実験も敢行している。この実験では45人の被験者に実際に八丁を走ってもらい、そこでカーブに止まっているに気づいたかどうかについて尋ねるというものであり、Tのような言ができなかったことを理由にTの言が信頼性がないとした。

しかし控訴審判決において日数の点と上記実験についてはいずれも説明がなされている。まず、日数の点に関しては確かに警察による聴取は事件から17日経過しているが、その前にTは事件翌日の2月21日・及び翌々日の2月22日に同僚のJとその不審車輌について話題にしていた。この同僚Jも裁判で人として呼ばれており、Tの言がTとの会話で聞いた不審車輌の特徴と一致していることを述べている。

また実験についても、実際の状況と違いすぎると否定された。というのも

  • 事件が起きたのは。対向が少なくなる季節であり、そのような時期に八丁カーブに止まっているはかなり立つ。一方実験に行われ、対向も多い。対向が多い時期にカーブに止まっているなんて見つめていたら事故を起こすのでそこまで注意を持って見ようとしないだろう。
  • そもそもTは甘木森林組合の職員であり、現場は土地勘がある。また、も自分の所属する森林組合車輌であり乗り慣れている。このため安全に車輌を運転するために払うべき注意は低いもので足りるはずであり、カーブに止まっているを確認するだけの余裕はあっただろう。
  • そしてそのを通ることがあったという事実から、その道路や付近状況が普段と異なる際に、それについて注意を向けやすい。
  • Tはダブルタイヤ仕様車輌の存在や特徴について不審車輌を撃する以前から知識を有していた。

ことからTと被験者が同条件であったとは到底言い難いというわけである。

また、警察による誘導があったのではないかと言う説についても

としている。ちなみに、報道ではTが森林組合職員であることについてはあまり言及されておらず、このため「仕事で通ったことあるでかつ言ってしまえば山なので職場である」という、Tが不審車輌の特徴を詳細に覚えていてもおかしくないであろう条件が視聴者にはあまり知られていない。

コラム:「ラインがある」ではなく「ラインがない」という供述?

なお、この「トヨタニッサンではない」「ラインがない」という点を度々特異な点であると冤罪説をする者が摘している。例えば以下の引用がそうである。

この不審車の特徴の3項め、「メーカートヨタニッサンではない」という、これがこの言の極めて特異な特徴です。普通を見た人がその種について供述をする時に、「トヨタニッサンではない」などという供述をすることがあり得るでしょうか。トヨタニッサンでないメーカーはたくさんある。それなのに、なぜそういう供述になったのか。

それから6項めには、「体にはラインがなかった」という言があります。ラインがあったという撃をしたのであれば、言として意味があるんですけれど、「ラインがなかった」という言、これがT供述の特異な点です。


死刑執行されてしまった冤罪・飯塚事件、第2次再審請求の新証拠(篠田博之) - エキスパート - Yahoo!ニュースexit, 2024/05/06閲覧

しかし、これは以下の2点を知っていればわかることである。

まず、供述調書は実際には捜員とのやりとりで「そのワゴンは本当にマツダですか?トヨタとかニッサンの可性はないですか?」「いやトヨタでもニッサンでもないですね。ダブルタイヤでしたし」「なるほど、マツダワンボックスタイプとなるとこれらの種がありますね。こんなラインはありました?」「いや、ラインはないですね」という会話であったとする。しかし会話文形式だと裁判の資料として読みづらいので、実際の供述調書は独白体、すなわち「その人がひとりでに喋ったかのような口調」で作られるのである。このため、それを知らない人が読めば特異な文章に見えるというだけである。

そして第一審判決で述べられている通り、ワンボックスタイプかつ後輪がダブルタイヤであるものはマツダの他にはトヨタいすゞ程度であり、ワンボックスタイプに広げてもニッサンが出てくる程度。かついすゞ紺色の設定がない。トヨタの場合も後輪ダブルタイヤ種はライトエースバンとハイエースバンだけ。ハイエースバンは紺色の設定がないためライトエースバンだけになるがライトエースバンには今度はサイドリアウィンドウがない。このため全塗装でもして体の色を紺色にでも変えていない限りTが撃したものはマツダワンボックスタイプである。かつこの当時のマツダワンボックスタイプの最高グレー種である82年式ウエストコーストには立つラインが入っているため、ラインの有は重要事項である (当時他にあったマツダ・ブローニィ、マツダマルチバンにはラインはない)。

ちなみに久間の所有車輌マツダの82年式ウエストコーストで、本来であれば入っているはずのラインが剥がされている。また、T言ではフィルムが貼ってあったことが述べられているが、実際に警察が久間の車輌を押収後フィルムを認めており、久間もフィルムを貼っていたことを認めている。

コラム:証言と久間の人物像の不一致

もうひとつ言及して置かなければならないことがある。それは、八丁言においては車輌については久間の車輌と一致する特徴が挙げられるが、一方で車輌の近くにいた人物の人物像とは一致しない事項がある。

この男の人相は、頭の前の方が禿ていたようで、は長めで分けていたと思うし、上衣は毛糸みたいで、胸はボタンで止める式のうす色のチョッキで、チョッキの下はカッター長袖シャツを着ておりました。その感じから年齢は30ないし40歳位と思います。


福岡地方裁判所平6 (わ) 第1050号、平6 (わ) 第1157号 - Wikisourceexit, 2024/05/10閲覧

久間の実際のルックスは前部はあまり禿げておらず、むしろ頭頂部のほうが禿げている。また久間の事件当時の年齢は54歳であり、また久間の妻によりベージュ色のチョッキを持っていた事実は確認されているが、ベージュ色と色はかなり違う印ではないだろうか。

そして、面通しを行っても森林組合職員Tは久間と撃した男が同一であるかわからないと回答したのである。もし誘導を図るのであれば、車輌がどうというより先に男の特徴をすり合わせたほうがよく (というより、後述の三叉路言では男の特徴どころか運転者の性別含めた特徴について述べられたものはなく、男の特徴について述べている言自体が八丁言くらいである) 、面通しで不一致というのは警察にとってはあまりおいしくはない状況であるはずである。控訴審判決でもこれを踏まえてこのように述べている。

被告人を撃したかどうかについては面通しを受けても同一性を識別できない旨供述し、撃した人物の年齢を若く供述するなど、被告人が犯人であるとすれば異なることになるような内容を含めて供述していることなどからしても、T田記憶に従い誇もなく供述していることに疑いを差し挟む余地はないと認められる。


福岡高等裁判所平11 (う) 第429号 - Wikisourceexit, 2024/05/10閲覧

つまり、森林組合職員Tは何らかの誘導を受けず記憶のとおりに述べていると判決では結論付けたわけである。

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三叉路の目撃証言

三叉路言とは、被害女児が最後に撃された三叉路における言、及びその同僚の言、またそれと近い時間に紺色ワンボックスカーを撃したという2名の言の計4名による言である。

この言の重要な点は

という点であり、実はかなり重要度の高い言なのだが、マスメディアによる報道では2024年2月16日に最後の撃者とされる女性言を翻したという弁護団発表まであまり重要度が高いとして取り上げられてこなかった。

まず、農協職員Dは午前8時30分頃、通勤のために自動車三叉路を通過したところ、北方向から2人組の小学生1 - 2年くらいの女児を見かけた。ふたりともランドセルを背負っており、1人が黄色合羽かジャンパーを着用していた。この時間では学校に遅刻しているはずなのに (8時30分は小学校ならとっくに始業の時刻である) 妙にだらだら歩いているのを記憶している。2人の横を通過したところ、3台のが駐しており、ボンゴ乗用車があったのを記憶しているが、もう1台は不明。その後40歳ほどの男が運転するボンゴ離合し、勤務先の駐車場を停めて化粧品を片付けていると同僚Vが駐車場に入ってきた。

この同僚Vは言において、Dの通勤路と同じを通って出勤した。三叉路先には2台ボンゴに男が乗っていた。8時33分に出勤しており、三叉路から県道までの小学生は見かけていない。

近くで建設業の従兄弟の手伝いをしていたXは、従兄弟とユニックを借りるために三叉路に向かった。8時30分頃若い女性が運転する軽自動車 (農協職員D) とガードレール付近で離合し、その後先行していた従兄弟スカイラインの後ろに自身のトヨタ・タウンエースを停めた。後ろには三菱のワゴン (後述の造園業者W) が停しており、別の女性 (V) が運転する軽自動車が横を通過していった。自分が停した位置が通行の邪魔になると考えたXはを移動させ、その後降りたときに後方からワゴンが右横を追い抜いて潤野小学校の方向に走っていった。

Xく、ワゴンマツダワンボックスタイプ、通称ボンゴであり、みがかったっぽい色であった (=紺色) 。リアウィンドウにはっぽいフィルムが貼ってあった。

造園業者Wは8時20分ごろ、三叉路南側の路上に自身の三菱デリカゴンを停めて付近の民家の造園工事を行っていた。そのころ低学年の女児が1人半べそをかきながら小走りに立ち去った。その後午前8時30分にユニックを貸す約束をしていたXとその従兄弟に会う。従兄弟スカイラインが停したあとXがタウンエースを後方に停めようとしたが、軽自動車 (W) が通りにくそうに通過したため、Xは前方に停しに行った。その後、Xが三叉路付近でに轢かれそうになったというので見たらワゴンが急いで走り去っていくのを見た。

Wく、これはマツダボンゴであり、濃紺色サイドモールがあり、後輪ダブルタイヤである。また、サイドウィンドウにはマツダ純正と思われるベージュの色褪せたカーテンが付いており、リアウィンドウはっぽかったのでフィルムが貼ってあると見られる。

この言は、先程の事件当日の女児の足取りと照らし合わせることで女児が略取・誘拐された時間が8時30分頃であることを示す (Dは見ているのにVは見ていない=Vが撃する前にAとBは通学路上から消失している) とともに、その時間に急いで走るワンボックスカーがあること、そしてそれが先程の八丁峠証言でも撃されている紺色ワンボックスカーであることから、このワンボックスカーが事件に関わっている (=女児2名がワンボックスカーに乗っている) 可性が高くなる。

なお、捜員によれば当初の捜段階で久間のしていたアリバイ通り、久間が妻を職場に送りその後帰宅したあとに実宅に向かったとすれば、女児行方不明時刻に現場を通過することがわかっている (この摘がなされたあと、久間は言を変更している) 。

また、極めて短い時間 (女児2名が行方不明になった8時30分から死亡定時刻の9時30分以前) に犯行が行われ、女児2名が抵抗したようなを上げていないことから顔なじみの犯行である可性も高まる。久間は当地でザリガニおじさんとして子供たちに好かれていたこと、女児の片方は教員をに持ち、知らない人のに乗ってはいけないと強く教育されていたことから、この三叉路言はかなり重要性が高いのである。

コラム:2024年の農協職員の証言撤回について

この三叉路言が大きく取り上げられたのは、皮にも2024年2月15日農協職員Dが自身の言を撤回したというニュースからである。弁護団によれば、農協職員Dは被害女児らを見たのは事件当日ではなく、当時の言は警察からの誘導や強引な押しつけで作成されたこと、出来上がった調書に署名と捺印をめられたことをしているという。

弁護団は女性言を元に確定判決が出たとして、これにより事件の有罪決定構造が崩れるとしたのである。

ただし、農協職員Dの言撤回は以下の点で議論の余地がある。

22日刊は21日までの情報面が作成されるため、行方不明になった2月20日及び遺体発見日の2月21日情報しか当然掲載されていない。これにもかかわらず、行方不明当日の足取りとして「8時半 学校から約300メートル離れた場所で2人が歩いているのを農協職員が撃」という情報提供され、1992年2月22日西日本新聞刊30面及び朝日新聞西部刊27面、読売新聞1992年2月22日西部刊27面に掲載されている。流石に2日間で情報がブレるとも考えにくく、また農協職員Dの車輌は上述の通り同僚V、人Xが撃していること、そしてその同僚Vと人Xの裏付けとして造園業者Wが登場する。農協職員Dの記憶のほうが「実の人を死刑にしてしまった」という恐怖で変質した可性のほうが高い。

ちなみに遺体発見のニュースが出たのは21日の18時であることがTの八丁言を批判する立場で行われた実験導者である厳島行雄の論文に掲載されており、この時点で警察はまだ殺人を前提とした聴取を行う前段階。久間が捜線上に浮上するのはどれだけく見積もっても捜員が久間に接触した2月25日になるため、久間のするアリバイに基づいて22日の刊に間に合うように農協職員Dの言を変えさせるということは (事件そのものが久間を陥れる何らかの陰謀であったなどの一般的に考えにくい事情がない限り) 時系列上ほぼ不可能である。

また、仮に警察が調書を捏造していたとして、拠とされたのは検察官調書であり、警察官調書ではない。

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繊維鑑定

上述の通り、繊維鑑定は久間の逮捕の決め手となり、また有罪判決を下す決め手にもなった重大拠の一つである。しかし、マスメディア報道ではあまり明確に触れられているとは言い難い。

また、さらっとしか触れられないために冤罪支持はしばしば「マツダが使ったシートの繊維が付着していたと言うだけ。原糸は東レの既製品であり車輌特定の決め手としては弱い」と言うことがある。しかし、第一審判決をよく読んでみると繊維鑑定が逮捕の決め手になった理由はかなり強いものであることがわかる。

久間が所有していたマツダの82年式ウエストコーストの織布は、このマツダの82年式ウエストコーストにのみ使用されているというかなりレア素材である。第一審判決ではこのウエストコーストに使われている織布についてここまで詳述されている。

なお、一応ウエストコースト以外でたまたま東レのナイロン6を使用し (あるいはたまた海外東レと似た二チタン含有量のナイロン6ステープルを作っている企業があり) 、たまたま久染色と同じ配合で着色した素材を使ったシートが全く出てこないという保はないので、裁判所全な断定はしていない。しかし「断定はできない」というだけで18000文字も第一審判決で文を割いて記載しているところから見ても、「ここまでの状況が被るわけがない」という確信を持って判決に盛り込んでいることはえる。

コラム:もうひとつの久間車と犯人車輌の共通点――フィルムの有無

さて、久間犯人車輌の共通点がもうひとつ存在する。

森林組合職員Tによる八丁峠の目撃証言三叉路の目撃証言における人Xと造園業者Wの発言において、共通点となる事項は「紺色」「ワンボックスカー」「ダブルタイヤ」以外にもうひとつあった。後部座席にっぽいフィルムが貼られていたということである。

1990年代後半からはの後部座席のガラススモーガラスが一般的になるが、それ以前は後部座席も運転席側と同じ透明度のガラスを採用していた。つまり事件当時の1992年に後部座席がっぽい場合は自分でフィルムを貼っていたことがそこからわかるわけである。

他に飯塚警察署管内に居住、もしくは所在し、被害女児らが失踪した三叉路を通過する可性があった、同様の紺色ダブルタイヤワンボックスカーを運転していた人物を警察は他に9名確認しているが、9名はいずれもアリバイが成立するうえ、フィルムを貼っていなかったという。

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久間の所有車輌から確認された血痕・人尿痕

久間の所有車輌からは当初から血とかなりの量の人尿が確認されていたのだが、この血と人尿について女児2名のうち女児Aがかなりの量の鼻血を出していたこと、そしてその血がその被害女児Aの血液型 (O型) と一致することをつきとめたものの、DNAまでは検出されなかった。これは久間がシートを度々拭きし、後部座席に至っては外してホースで丸洗いしていたことが理由である (第一審判決にもそう記述されている) 。DNA分解されるため、当時の技術では検出することはできなかったのだ。

また、久間は新ではなく、それ以前に別の所有者がいた。このことから、これは逮捕の決め手にはならなかった。前の所有者のときについたと言えなくもないからである。

第一審判決

しかし第一審判決のころには前の所有者にも聴取が行われており、前所有者S夫妻は以下のように供述している。

また、S夫妻がこのウエストコーストを売却し、その後中古店に並ぶまでの間にも作業員や販売員は出血しておらず、血と人尿は久間がこの車輌を管理している間についたものと認めるのが相当といえる状況であった。

そしてこの車輌の血と人尿について久間とその妻は妥当な理由付けができなかった。そもそも走行中の内で出血したり、大量に失禁したとなれば、久間の運転者は久間しかありえないため、同乗者から出血や失禁について申告を受けるであろうし、それが幼児で自分では申告できなくとも、付き添っている者から申告を受けることができたはずである。また出血に関してはそのシートの性質上パイル糸のモケットに血が付着すれば立つために、内を頻繁に清掃する久間が気付かなかったはずもなく、失禁べて申告を受けなかったという可性も低い (失禁の場合は当人が恥ずかしさから隠匿する可性は否定はできない) 。加えてそれを清掃した記憶もないはずもなく、付着時期や原因などについて具体的に説明できないのは不自然裁判官は考えた。

これに対する久間の供述を見てみよう。久間は捜段階では同乗者のかがおもらしをしたという記憶はまったくないとし、血についても実が怪をして出血をしていた時期に乗せたことがあると言ったものの時期までは思い出せなかった。判供述では妻が流産したときに下着が汚れていることに気付いたという話やその他のおかわの世話をしたり、あるいは長男が暴れたときについたかもしれないなど可性の話をいくつも出したものの、やはり具体的には説明できなかった。

久間の妻に関しても同様で、捜段階と判段階では供述が食い違っており、かつ捜段階では母親のおかわの世話をした事があるという話について述べていなかったり、自身の流産について忘れていたというのも不自然である (流産は結構忘れがたい記憶になるはずで、それでに血を付着させた可性があるのであれば捜段階で述べているはずだからである) 。

控訴審判決

さて、DNAが検出されなかったという話についてであるが、1994年になると新たな検法が開発されたことをにした捜官がめてシートを確認すると、繊維鑑定のときに切り取った部分の周囲がく変色していることに気付いていた。東レに鑑定について照会すると、東レが繊維鑑定を受けたときにそこにシミがついていることを確認していたため、めてその試料を返却してもらったあとにDNA鑑定が行われたのであった。第一審判決時点ではこの検結果は出ていなかったが、控訴審のころには検結果が出ていたため、控訴審判決ではこの検結果も判決に当然盛り込まれている。

このときMCT118は検出されなかったが、TH01鑑定及びPM検法ではGcについてCのホモであることが確認できた。また、女児2名の毛にも同様の検を行うと、女児AはGcについてはCのホモであることが確認できた。これが一致することで、なおさら女児2名を殺した際についたであろう血であることが説明できるとして、より強な状況拠として採用されるに至る。

弁護団は控訴審になってからこれが出てきたことに検察の作為 (要は捏造) ではないかとしたが、東レ言によって当初から血がついていたこと、TH01鑑定及びPM検法では時間経過やによる分解でも変わりにくい部分について検できることから、判決では作為を否定。女児2名が失禁していた形跡と、鼻血を出していた女児Aの血液型Gcの一致を理由に久間の血・人尿女児2名の殺の際にできたものであると結論付けた。

コラム:繊維鑑定とGc型の一致という証拠を覆しうる可能性

先程の繊維鑑定と、控訴審におけるTH01鑑定及びPM検法で出てきたGcの一致という拠は、かなり本件において久間を犯人であるとする理由付けとして使われている。なにしろこれだけで最初のMCT118鑑定の話はその正否が問われなくなるし (実際「MCT118鑑定の話を理由に久間が犯人でないとはいえない」と言っていることからもわかる) 、かなり犯人である可性のある人間を絞り込めてしまう。

しかし弁護団や冤罪支持は繊維鑑定については既製品を加工したものであり、Gcに関しても疑義を示すことが多い。

実際、覆しうポイントが有る。まず繊維鑑定についてだが、繊維鑑定によって女児衣服に付着していた繊維片が久間の所有する82年式ウエストコーストのシートと同じであることが断定されている。ここでこの繊維片がそうではない可性が示せればいいわけだ。

犯行が1992年であるため、それより以前の種について調べればよく、同じ織布が使われた車輌を他にも挙げられれば、久間以外に犯人がいる可性を示しうると言える。

次にGcだが、実はこのGcの判定は3種類に分けられるという結構精度としては低いもので、控訴審判決でも「出現率は約16人に1人と認められる」と、実は冤罪説がられる際にしばしば玉に上がるMCT118鑑定よりも被りは多い。すなわち、久間の家族のうち、O型かつCのホモである者が発見できれば判決を覆しうるわけである。

そしてこれはければいほど良く、そうでないと久間の家族の中にも亡くなってしまう者が出てくる。このため、弁護団や冤罪支持批判する立場からは、「なぜ弁護団は逆にこのあたりのチェックを行わないのか」と摘されている (参考exit) 。

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亀頭包皮炎

頭包皮炎とは、男性器の先端部分の頭と、その包皮に炎症が起き、みや膿、かゆみなどの症状が起きる病気である。

久間は逮捕当時、頭包皮炎である自分は事件当時も挿入できない状態であり、セックスへの興味もなかったと。更にそれを族を集めた場でテープに録音し、この場に同席した毎日新聞大坪記者にも預けている (これは第一審判決に述べられている) 。捜段階でも、入院を勧められ紹介状まで書いてもらったにも関わらず息子の面倒を見るために自宅で食事療法をすることを決めたとも述べている。

要は陰茎外陰部に入れると痛みがあるから入れられるわけもなく、それ故絶対に無罪であるというであり、このためか3月21日警察官福田係長が自宅に来た際も「アリバイは要らない、120パーセントだ。」と断言している (やはり第一審判決より)。

さて、MCT118型鑑定の項で述べた通り、この飯塚事件の被害女児らの内やその周辺から見つかった血を元にMCT118鑑定が行なわれている。――足利事件では精液に対してMCT118鑑定を行ったにも関わらずである。これは被害女児らの遺体衣服などからは精液が見つからなかったためである。つまるところ、「被害女児らの内からは第三者 (=犯人) の血液は発見されている (=被害女児らは強姦されている)」にも関わらず精液は発見されていないという状況で、なおかつその血液型MCT118鑑定は久間と一致するという状況であった (MCT118鑑定を妥当とみなしているのではなく、あくまで状況の説明をしていることに注意) 。つまり、事件当時頭包皮炎を患っていたのであれば、むしろ合理的に状況を説明できてしまうことが第一審で摘されたのである。

すると久間は第一審の第33回判にて1991年11月頃には頭包皮炎は全に良くなったと発言した――しかも検察から「頭包皮炎であるならばむしろ特異な状況を合理的に説明できる」と言われてからであり、しかも弁護団にもそれまで発言していなかった。久間は調書はすり替えられたものであるとまで発言している。これについては判決でも以下のように摘されている。

そもそも、調書の内容がすり替えられているというのであれば、そのことを法廷で強くしないはずはないのに、被告人は、このことを第33回判になるまで、しかも検察官から聞かれるまで明らかにせず、その理由についても「弁護人には説明しなかった。弁護人には言わないで法廷で言うつもりだった。弁護人からは聞かれなかったから言わなかった。」などと述べるだけで(460項以下)、納得のいく説明をしないのである。これらのことからすると、供述調書のを争う被告人の右判供述は到底信用できない。


福岡地方裁判所平6 (わ) 第1050号、平6 (わ) 第1157号 - Wikisourceexit, 2024/05/10閲覧

また、久間の妻も判段階では「夫の頭包皮炎は良くなっていたと思う」「夫が必要ないというので紹介状も処分した」と久間の判供述に沿う内容の供述を行っているが、捜段階では久間の頭包皮炎がいつ頃から良くなっていたか覚えていない、当時の性器の状態も不明であるという回答をしていたのであった。頭包皮炎に伴う久間の病状は「包皮が破けてパンツにくっついて歩けなくなる」ほどであり、頭包皮炎であることを診断した医師糖尿病も疑って他の病院紹介状を書くほどの状態でありながら、捜段階では具体的に供述できなかった妻の判供述についても、判決では信用できないとしている。

また、1991年7 - 12月頃に強い皮膚病に効く『フルコートF』というを頻繁にとあるドラッグストアで久間は購入していた。副作用が強いであるため、ドラッグストア経営者は「名しで名されたときしか販売しない」「これを名しで購入していた久間のことは覚えている」と供述。同店の元店員も「被告人は常連であり、フルコートFを購入していたことを覚えている」と供述している。久間とその妻はフルコートFを購入していた事実はないとしていたが、判決では久間と妻の供述は明らか虚偽であるとしている。

コラム:久間の性格鑑定

第一審判決では、弁護団が久間は今まで社会生活普通に営んでおり、検察がするような衝動的な犯行を行うような人間ではないという理由で性格鑑定を申請し、裁判所はこれを認めて福岡大学医学部医学教室助教授医学博士啓に鑑定を依頼した。

この鑑定ではMMPI (ミネソタ多面人格テスト) 、ロールシャッハテスト、P-Fスタディ (絵画欲求不満テスト) 、バウム・テスト、TAT (絵画統覚検) と5つの鑑定が行なわれたが、MMPIでは全383問のうち、本事件に関わる久間の心理状態や心理反応に関する148の質問に対して回答。またこのテストの中で答え間違いを訂正する場面でも慌てていた。

他のテストからは久間は自由に想像を働かせようという動きがあまりなく、また、回りの人間に対する関心さ、感情の冷却、警心の強さなどが摘され、欲求不満に対してそれをすぐに満たしたいと考える傾向が強く、刺が強まる状況では現実的に対処できないという判断がなされた。

これらから久間は情性欠如精神病質者と判断された。つまり、精鑑定ではむしろ検察がするような衝動的な犯行を行いうるという結果が出てしまったわけである。ただし、これは久間にとっても不利な鑑定であるものの、裁判所はこれについていくつかの摘を行い、鑑定を素直に採用できないとして判決において結果の採用をしていない。

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久間のアリバイ

所有車輌の血痕・人尿痕亀頭包皮炎の項でも度々摘されているが、久間やその妻の発言は捜段階と判段階で変化しており、かつ捜段階では曖昧だったにも関わらず判段階では詳細にっているというケースが多い。

久間が判に当たり、供述調書について述べた部分がある。

被告人は、判で、「調書は手に取って自分で読み、納得できなければ署名しない。」「私はいつもプライドを持って闘ってきた。見苦しい調書などいっさい作らない。問答式調書は1枚も記憶がない。(裁判に提出されている)調書はでたらめで、中身がごっそり替えられている。」「警察官調書の署名の際、余白の後ろに署名するよう言われたが、署名した後でその余白部分に陰茎から血が出てなどと書き込まれている。」などと述べて、供述調書のを争い


福岡地方裁判所平6 (わ) 第1050号、平6 (わ) 第1157号 - Wikisourceexit, 2024/05/10閲覧

しかし実際には久間が署名した調書に問答式のものがあった。また、中身がごっそり変えられているというにも関わらず、当初からそうだったとするわけでもなかった。前述の頭包皮炎のケースでも、自身が頭包皮炎が治していたと述べたのは第33回判であり、それまでは頭包皮炎であったと調書通りするのみならず、それについて族を集めた場で述べたうえでその録音テープを記者に預けるという行為をしていた。

久間の妻についても血・人尿についての判供述では久間ののおかわの世話をしたとか、自分が流産したときに下着が汚れていたという話を出したが、捜段階の供述ではそのような発言はしていない。

しかし久間やその妻の供述が変化したのはこの点だけではない。久間のアリバイについても供述が変化しているのである。

久間の事件当時の行動

久間は事件当時、妻、そして小学2年の長男の3人暮らしであり、自身は就職せず、消防署職員である妻の収入と自己の年金生活していた。平日は自分ので妻や息子を職場や学校に送り届けており、その経路は決まったものがいくつかあった。長男はだいたい午後3時頃に帰宅する。

官は久間が実際に妻と息子を職場や学校に送り届けるルート平日に走行して確認した。すると、その経路は被害女児らの通学路と重なっており、妻の職場に8時18分すぎに到着し、その帰路に三叉路を通過する時刻は午前8時28分頃――本事件において被害女児らが三叉路で略取・誘拐された事件とほぼ一致した。更に長男午後3時まで帰宅せず、潤野小学校から死体遺棄現場まで自動車で往復しても2時間もかからないことから、久間はこの犯行を行うことができる (アリバイが成立しない) と結論付けた。

それに対して久間は判供述では「この日は7時55分に妻を乗せて出発し、8時10分に職場に送り届けると、福岡県山田内のを届け、その後10時5分までと話していた。その後自宅に戻る途中に12時半までパチンコ店でパチンコをし、午後1時頃にに帰宅した」と供述している。しかしこれについて久間のに一度を持ってきていたという供述こそしているが、2月20日を持ってきたかどうかは記憶がないと発言している。また、妻は判では「毎19日に知人からを買い、翌日に一部を被告人がに届けていた。その日もに積んでいたので、夕方行こうと久間に持ちかけたところ、もう持っていったと答えていた」と述べている。しかし捜段階ではを持っていった日を特定できていない。19日頃にを買って翌日届けるというのが確実ならば20日に行ったというのはアリバイとして成立するが、これについても久間からいつも19日に買っていると聞いていただけで、前後にずれたことがあるかどうかわからないと述べている。

しかもこのアリバイになる部分も、判ではまっすぐのところに向かったと述べていたが、捜段階では一旦帰宅し、その後を届けに行ったとしている。

上記のアリバイについて思い出したとする時期

更に興味深いことに、判ではアリバイについて思い出した時期について、2月25日警察が来た日にアリバイがあることを思い出し、3月18日警察の前で実電話もかけたが、族の言では駄だからポリグラフを受けるように言われたと述べている。しかし捜段階では「アリバイがあればポリグラフは不要です。ただ、家族言ではだめです。」と言われたが、事件当日の行動をすぐには思い付かなかったためポリグラフを受けたと述べており、その後アリバイについて考えてみて思い出したと述べている。

更に、思い出したきっかけも判では刑事が帰ったあとと述べ、妻とは事件について話もしていないとっているが、捜段階では妻と事件当日のことで会話をして、を持っていったかという話で思い出したとっている。

これらの変遷から判決では久間のアリバイは成立しないと結論付けている。また、控訴審判決では

  • 遅くとも21日には町内放送で被害女児らの捜索を呼びかける知らせを聞いている
  • 現場付近では同時間帯に検問の態勢がとられる
  • これらのことから21日には誘拐事件が発生していることを知ったはず
  • かつ久間の居住地域では以前にも女児行方不明事件が発生
  • しかもその行方不明事件の最後の撃者は久間自身
  • つまり久間は自分自身も疑われかねないと判断するはず
  • そうなれば前日の行動について自身にアリバイはなかったか当然振り返り、その後も反するはず

摘し、これに反して久間がアリバイについて振り返ったのがあまりに遅いとしており、かつアリバイの根拠も変遷していることを摘。

したがって、被告人は当日の行動につき十分な記憶を有しているにもかかわらず、信用できないアリバイをしていることになる。


福岡高等裁判所平11 (う) 第429号 - Wikisourceexit, 2024/05/10閲覧

として久間のアリバイが成立しないとした。

△Menu

死刑執行までの期間

2006年10月8日に久間の判決が確定してから2008年10月28日死刑執行されるまでの期間は2年である。当時は足利事件の再審の機運が高まるころであり、2008年10月17日には再審請即時抗告審でDNA再鑑定が行われる見通しが報じられていたころである。そんな折に久間の死刑執行されたことは多くの憶測を呼んだ。更にその2年という期間は1993年死刑執行が再開されて以降、最も間隔の短い執行であった。

また、弁護士ドットコムの2018年の徳田弁護士へのインタビューexitでは、久間が死刑囚執行までの期間を表にしたうえで、自分の執行は先であると楽観視していたが、その1ヶ後に執行されてしまったと述べている。こうした「スピード執行」ということから、当時総理大臣だった麻生太郎冤罪であることがバレると政権への信頼が毀損されるという理由で久間を慌てて処刑した、という陰謀論が巻き起こったりもした。

しかし、これについて前2年からの死刑執行と、判決からの期間をリストアップするとわかることがある。

執行 執行人数 期間
2006/12/25 4 19年5ヶ
13年3ヶ
7年6ヶ
6年10ヶ
2007/04/25 3 14年7ヶ
7年1ヶ
6年7ヶ
2007/08/23 3 6年8ヶ
6年7ヶ
6年6ヶ
2007/12/07 3 11年9ヶ
4年11ヶ
3年6ヶ
2008/02/01 3 10年10ヶ
3年6ヶ
3年4ヶ
2008/04/10 4 11年3ヶ
3年7ヶ
3年6ヶ
3年1ヶ
2008/06/17 3 3年4ヶ
2年8ヶ (宮崎勤)
2年5ヶ
2008/09/11 3 6年9ヶ
2年5ヶ
2年0ヶ
2008/10/28 2 2年0ヶ (久間三千年)
1年10ヶ
2009/01/29 4 15年2ヶ
2年7ヶ
2年7ヶ
2年0ヶ
2008/07/28 3 3年1ヶ
2年1ヶ
2年0ヶ

実はこの時期は死刑囚が多くおり、鳩山邦夫元法相が死刑の自動執行を打ち出していた。最初は19年などの刑期の長い死刑囚から対になっていたが、やがて3年等の刑期の短い死刑囚が対になるようになっていった。これは当時は再審請中の者は執行しない慣行だったためである (なお20年代からは第一次再審請中でも執行されるケースが出てきている) 。

マスメディアでは「久間三千年は再審請備中死刑執行された」などと報道されることもあるが、再審請備中というのは要は再審請していないということであり、よって次の執行リストに載ったということになる (実際、第一次再審請がなされたのは久間の死刑執行後である) 。久間同様に2年代で執行されている死刑囚も前後にかなり多く、久間と同じタイミングで、久間より短い1年10ヶ執行されている死刑囚がいるため、取り立てて久間が短いということもない。弁護団が久間と話した1ヶ執行、という話についてもその直近でも2年0ヶ執行された者もいた。

ついでに言えば、久間と同種の犯罪死刑判決が出た東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の実行犯であり、読者諸賢らにも知られたところであろう、あの宮崎勤も久間の処刑の4ヶ前に、やはり2年台で執行されている。このことから見ても弁護団は久間の番が期に来ることを予見できたはずである。

△Menu

29年越しの新証言

事件から29年が経過した2021年に、電気工事業の72男性Kが「を見た」という言を行った。この男性は事件のあった2月20日八木山バイパスで、女児2名を乗せたを見ていたというのである。運転手も見たが元死刑囚とは別人であったという。

この撃談は2月20日11時頃で、男性Kは売掛金の回収ができなかったことにを立てており、そんな折に前方のが遅く走っていたため、それを追い抜かしたという。そのときにどんな者が運転しているのかと見たところ、坊主頭の細色白ドライバーが運転しており、後部座席におかっぱ姿の女児ランドセルを背負ったまま乗っており、もうひとり女児ランドセルを置いて横たわっていたという。

その日の女児2名が行方不明になったというニュースを見て、翌日警察電話したが、その後警察が来たものの簡単な質問をして帰ったという。男性Kは八木山バイパスの監視カメラも確認すべきとしたというが、裁判では八木山バイパスの監視カメラについての資料は出ていなかった。男性は第一審のときに裁判を傍聴しており、犯人と久間とは違う人相であったが、DNAの話で久間が犯人だという話でその場では新たな人として名乗り出なかったが、その後DNA鑑定拠として崩れたとして出てきたというのであった。

弁護団は新たな拠としてこの男性言を提出。男性は実名も顔も出して記者会見も行っている。

しかしながら、この言はとある点で拠としては弱いのではないかと摘する者もいる。これは死亡定時刻からくる。女児A・Bのの内容物から、2名の死亡定時刻は20日9時30分以前とされている。これより、11時撃したというこの言は理がある、とするのである。

警察人Kの言を詳しく調べていない可性も言及されているが、当時は事件にあたってさまざまな報道がなされたなか、撃者が多い紺色ワンボックスカーの方を優先した結果、死亡定時刻からも外れた人Kの言までは調べていないのかもしれないし、調べたうえで関係がなかったので裁判で提出しなかったのかもしれない。

コラム:証人Kの証言と八丁峠証言の比較

さて、人Kの言は他にも違和感がある点がある。ここでは、弁護団や冤罪支持が疑問視する八丁言と較してみよう。

人Kの 八丁
撃からの期間 弁護団が言を拠として提出したのは事件から29年後 警察森林組合職員Tに事実確認をしたのは2週間後
犯人と思われる車輌撃者の位置関係 上り坂線で追い抜きざまに 反対線に停しているをすれ違いざまに
通り 福岡市に向かうバイパス道路であり、往来はそれなりにある 季は通りがほとんどない

追い抜きざまにとなると、前方のより速い速度で走る必要があり、撃にあたってはかなり短い時間になるしそこまで詳細に見ることが難しいだろう。追い抜いたあと減速するなら話は別だが、人Kは当時でも42歳であり、そんな追い抜いた喧嘩を売るような運転をするとは考えにくい。一方、八丁言の場合は向かいの停している撃したというものであり、かつ対向があまりこない、乗りなれた、自分にとっては職場とも言える森林となればそこまで安全に運転するに当たり注意を払う必要はあまりない。

加えて往来が多いということは、特段そのような場所を女児2名を乗せたが走っていてもおかしくないということでもある。平日11時福岡市に向かうバイパス道路に、小学生を乗せたが向かう理由なら「家族病院に搬送された」「子供の急な体調不良」「子供スポーツ音楽に打ち込んでいるため退」などいろいろ考えられよう。

加えて言えば、八丁言については弁護団も冤罪支持も2週間後に警察の聞き込みがあって正確だとするのはおかしいと摘する (同僚Jに事件翌日・翌々日にも森林組合職員Tは撃談を話しているため、判決ではおかしいとは見なされていない) 。一方人Kは29年後に出てきており、29年もあれば記憶に変質があってもおかしくない時間経過である。

また、人Kは第一審判決を傍聴していたというが、その割にはDNA鑑定が判決の決め手になったと言う話をしている (実際は上述の通り、第一審判決の時点でMCT118鑑定はほとんど拠としては弱いとされていた) 。傍聴をしていたのであれば裁判において久間を有罪と断定した拠はMCT118鑑定ではなく、他の拠の組み合わせであったことを知っていたはずであり、久間が自分の見た人間貌が違うというのならばその場で申し出てもいいのではないか、と摘する者もいる (参考exit) 。

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余談

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判決

各種考察

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こちらに記載しているものは以下のリストから省いている。

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1 ななしのよっしん
2024/05/06(月) 20:58:47 ID: kr52EBI+Sl
記事内容についてソースがなく憶測が多いので、書き換えようと思います。異論なければ実施します
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2 ななしのよっしん
2024/05/10(金) 20:53:47 ID: kr52EBI+Sl
異論がないようなので実施します。
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3 ななしのよっしん
2024/05/28(火) 16:33:40 ID: kr52EBI+Sl
6月5日に再審請の結果が出るようです。
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4 ななしのよっしん
2024/05/28(火) 17:46:50 ID: qEfhIgQo3x
これで再審認めて無罪判決でたらこれまでの死刑執行事件については頑として姿勢を曲げない法の姿勢にが開く。
死刑制度そのものの議論も大きく盛んになるけど、でも多分望みいよなあ……
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