それこそが事実
受け入れがたい結果や
思いがけない敗戦に
言い訳を探していないか
運がなかったとか
これは何かの間違いだとか
サニーブライアン(1994年4月23日生~2011年3月3日没)とは、日本の競走馬・種牡馬。1997年の春の二冠馬である。馬どころか騎手まで人気薄だったことで有名。
中尾銑治厩舎所属、主戦騎手は大西直宏。愛称は『サニブ』。馬主は浦和競馬で大馬主だった経歴を持つ宮崎守保氏。ナリタブライアンと馬名が似ているが別の馬主所有馬なので無関係。こちらは『サニー』の冠名を用いている。
※当記事は、サニーブライアンの活躍した時代の表記に合わせて、年齢を旧表記(現表記+1歳)で表記します。
3・4歳 ~若葉ステークス:無名からの始まり
父*ブライアンズタイム、母サニースイフト、母父*スイフトスワロー。……「スイフトスワロー」の名に鋭く反応したあなたはダビスタやってましたね。
種付け料が下がる傾向が強い産駒デビュー直前の配合とはいえ、期待の一頭として輸入された*ブライアンズタイムを中小牧場である村下ファームが配合したということは、期待されていた証であろう。ただしこれはあくまで村下ファーム基準の話であり、大牧場基準での話ならナリタブライアンの活躍で一躍脚光を浴びた父*ブライアンズタイム以外は普通程度の血統にすぎない。
母はダービーでメリーナイスには派手にちぎられたものの2着に入ったサニースワローの全妹。このサニースワローの主戦騎手が、後に本馬の主戦騎手にもなる大西直宏であった。
ちなみに現実での*スイフトスワローはというと、良血ながら調教中の故障で未出走のまま引退した馬である。ノーザンダンサー系によくある「母父の特徴を出す」のとおり、母父のアリシドンの重厚なスタミナやパワーを表に出す種牡馬となり、芝ではサニースワローやレオテンザン、ダートではスイフトセイダイやチヤンピオンスターを輩出するなど未出走の馬の割には中々の成功を収めている。
新馬戦ではウイニングチケットの全妹スカラシップが1番人気、本馬は3番人気だったが、スカラシップに2馬身半差をつけて逃げ切り、おお? これは? と思わせたのも束の間、続く4戦を凡走してしまう。年明けからジュニアカップに勝ち、弥生賞(GII)ではランニングゲイル、オースミサンデーに続く3着に入るものの、何故か連闘した若葉ステークスでは4着であった。
4歳 ~皐月賞:フロックの一冠?
この時点でのサニーブライアンは皐月賞までに8戦も走って2勝ということで、皐月賞では影が薄かった。人気はランニングゲイルとメジロブライトという父内国産馬の雄を筆頭にヒダカブライアン、オースミサンデーあたりがそれに続く形となっていた。メジロライアンの初年度産駒が輝かしいデビューを飾った一方で、この年は*サンデーサイレンス産駒が不作であり、皐月賞まであと2ヶ月というところでデビューしたサイレンススズカが突如大注目を集め弥生賞で盛大に散る、という具合であった。その代わりと言うべきか*ブライアンズタイム産駒が5頭も出走してきていたが、3番人気のヒダカブライアン以外は本馬含めいずれも人気薄である。
この年、中山の馬場はあまり良くなく、人気馬は差し馬ばかり。「うーん、これは前残りがあるなあ」と思ったファンがいたことも事実である。しかしながら、はっきり逃げそうな馬が見当たらなかった。競馬雑誌に「サニーブライアン逃げ宣言!」とでも大きく出ていたらもしかしたら買った人も増えたかもしれないが、サニーブライアンはマジで無視されており、ほとんど何の情報もなかったのだ。
そしてサニーブライアンの鞍上は大西直宏。この人は腕は良いのだが無口で、兎に角目立たなかった。地味だからメディアに取り上げられなくてファンの認知が薄いというレベルではなく、寡黙すぎて営業が下手すぎ、トレセンでも腕は悪くないと評価されながら騎乗馬が全く回ってこない、という状況で、引退の話が出始めるくらい騎乗の依頼が少なくなっていた。せっかく皐月賞に出走するのだから、もっと有名で成績の出ている騎手に乗り変わればいいのにという話もあったそうなのだが、これは馬主が「サニースワローの時からお世話になっている大西騎手を乗り替わらせるなんてとんでもない!」と言ったことで取りやめになったそうな。
馬も騎手も本当にまったくのノーマークであったこのコンビが、史上稀に見る大番狂わせを演じるのである。
大西騎手は弥生賞と若葉ステークスでの走りから、「サニーブライアンは切れ味に欠けるがバテて失速することがない。スタートがやや下手だが多少強引にでも逃げさせたほうがいい」という結論を下しており、包まれ難く、多少出負けしても強引にハナを切りやすい大外枠に当たって密かに喜んでいたらしい。もちろん、誰もそんな事は知らなかったわけだが。
その皐月賞、大西騎手は狙い通りサニーブライアンを先行させることに成功する。いきなり同じ人気薄のテイエムキングオーが引っ掛かって競りかけてくるハプニングがあり逃げることこそかなわなかったが、サニーブライアンはそれに動揺することなく完璧な折り合いでテイエムキングオーの後ろにつけ、勝手にバテたテイエムキングオーを尻目に悠々3コーナーで先頭に立つ。ペースはスローだがよどみが無いペースで、明らかに先行馬有利な展開。というか、サニーブライアンが先頭に立ったあたりで、人気馬の馬券を持っていた連中は発狂寸前だったに違いない。サニーブライアンの手ごたえがあまりにも良かったから。
4コーナーを綺麗に回って思い切り差を開くサニーブライアン。人気馬はみんな馬群の中。最後の最後で脚が止まりかかったサニーブライアンにシルクライトニング以下が襲い掛かったもののもう遅い。まんまとサニーブライアンは逃げ切りに成功したのだった。
この時、本馬は11番人気という人気薄で、単勝は5180円。更には2着のシルクライトニングは10番人気。馬連は51790円もついた。大西騎手はこれがGI初制覇。というより、重賞自体もアラブ重賞を1勝しただけでサラブレッド重賞は初めて。それどころかこの皐月賞の勝利がこの年の大西騎手の3勝目である(そのうち2勝はサニーブライアンでの勝ち星である)。しかしながら、あんな上手い騎手がどこに隠れていたのか? とみんなが首を傾げた好騎乗だった。
4歳 ~日本ダービー:フロックでも何でもない!
それにしても皐月賞は見事な逃げ切りで、あまりに見事すぎるせいでファンは「まんまと逃げ切りやがって!」と思ってしまったのである。直線の長い府中ではああは行かないぞと。
しかもレース直後から大西騎手や陣営は「ダービーも逃げる」と言いまくっていた。しかも「ダービーもいただき」みたいな口調で吹きまくっていたため、ファンやマスコミは笑っていた。「どうやら思わぬ勝利に浮かれているらしいなw」と。しかもサニーブライアンは未勝利馬に蹴られるという珍事を起こしており、「未勝利馬ごときに蹴られるとか情けねーw」とか思われていた。「うんうん。ダービーも逃げればいいじゃない。でも、そう上手い話は何度も続かないよ」というところであろう。
しかし、その苦笑は本番で凍りつくことになる。なぜなら、大西騎手は既に冷静にダービーのための綿密な計画を密かに立てていたのだから。
大西騎手が日本ダービーにおいてサニーブライアンの難敵となると見ていた馬は2頭だという。それは条件戦からとてつもないスピード能力を発揮し、サニーブライアンのペースを乱しかねない逃げ馬・サイレンススズカと、若草ステークスで「ワープ」と称される程の豪脚を披露して快勝した、せっかく大西騎手が自分のペースでレースを作り上げてもそれをひっくり返しかねない追い込み馬・シルクジャスティスである。そのため、まず「逃げ」を徹底的に強調してサイレンススズカ陣営をけん制し、そして自分達が浮かれていると「勘違いさせる」ことでシルクジャスティス陣営のマークをメジロブライトらに向けさせ、仕掛けを遅れさせることに成功していたのである。
そして日本ダービーの枠順抽選。皐月賞と同じ理由で大外枠を希望していた。そして引いた番号を見た大西騎手は思わずその番号を叫んだという。その番号は「18番」。希望通りの大外枠に間違いなかった。まあ、他の陣営やファン達は「逃げ馬に不利な大外枠でご愁傷様」と思ったのであるが。
ちなみに、サニーブライアンは本番直前の調教では当時かなり強かった外国産馬スピードワールドをぶっちぎる調子の良さを見せていた。おまけに、本番のパドックではなんか皐月賞時の線の細さとは大違いの、ビシッとした馬体で歩いていた。ついでに大西騎手もダービー前日に四暗刻緑一色のダブル役満を上がって絶好調だった。
なのに7番人気(実際には上位人気のシルクライトニングが競走除外のため6番人気に繰り上がり)。1番人気をダービーに惜敗していた人気者メジロライアンの息子メジロブライトに譲るのはまだしも、トライアルホースとはいえジュニアカップで下しているトキオエクセレントや皐月賞2着のシルクライトニングよりも人気薄というから尋常ではない。はっきり言ってこんなに人気のない皐月賞馬は前代未聞である。しかし、大西騎手に人気など関係なかった。
レースがスタートすると、大外からサニーブライアンが吹っ飛んでいった。その気合を見て、同じ逃げ馬のサイレンススズカは控えた。競りかけても譲ってくれそうに無かったからだ。実際には「スズカが競りかけてきたら控えろ」という指示があったことなど知る由もなく。サニーブライアンはあっさりと自分のペースに持ち込んでしまったのである。
サニーブライアンの最大の利点は折り合いで、スタートで押して一気にハナを奪ったのに、次の瞬間にはあっさり落ち着いて大西騎手の指示に完璧に従うのである。ダービーでも2コーナーを回る時にはもうサニーブライアンのペースになってしまっていた。
サイレンススズカ以下先行馬は掛り気味、相変わらず後方に固まる人気馬は当初の狙い通りけん制しあって動かない。なんか皐月賞より全然気持ち良さそうに走っているサニーブライアン。でもどの馬も鈴をつけに行かない。彼の存在は他の騎手やファンからは「消えていた」。どのくらい「消えていた」かというと、実況が4コーナーでサニーブライアンを無視して「2番手はフジヤマビザン」と実況するレベル。この時点でもう勝負ありである。騎手陣の中で唯一気づいていた安田富男騎手はよりによってお手馬のシルクライトニングの除外でレースに参加出来ていないのだから皮肉というほかない。
悠々と4コーナーを回ったサニーブライアンに後続が襲い掛かるが、サニーブライアンは余裕十分。引き付けるだけ引き付けてから大西騎手がゴーサインを出すと、バテた先行馬からポーンと5馬身くらい離してしまった。そしてそこからは切れ味はないけどバテないサニーブライアンの真骨頂。メジロブライトをマークして仕掛け、メジロブライトごと「馬群」を差し切ったシルクジャスティス鞍上の藤田騎手は「馬群」の先頭に出た瞬間、そこがダービーの勝利ではなかったことに驚愕したに違いない。
先頭は、残り200、坂を上って、サニーブライアン先頭! サニーブライアン先頭だ!外からシルクジャスティス、シルクジャスティス、間を割ってランニングゲイルも来た!
サニーブライアンだ! サニーブライアンだ!
これはもう! フロックでも! 何でもない!
二冠達成!!
サニーブライアン堂々と、二冠達成です!
勝ちタイムは2分25秒9、あがりの3ハロンは35秒1!この上がりでは、後ろの馬は届かない!!
結局1馬身差でダービーまで「逃げ切ってしまった」のである。ちなみに、2着のシルクジャスティスは暮れの有馬記念を。3着のメジロブライトは翌年の天皇賞春を勝っている。本格化前とはいえ、菊花賞馬マチカネフクキタルや伝説の逃げ馬サイレンススズカもいた。たしかに、フロックで勝つには相手が強過ぎるだろう。
逃げ切りでの二冠達成。そのあまりにも強いレース振りに、勝たれてから誰しもが「ああ、この馬、相当強いわ! 流石に皐月賞馬だった!」とびっくりしたダービーだった。
(皐月賞の時も「最後の直線長いなぁ」というお話でしたが、今日の府中の最後の直線いかがでしたか?)
……うぅん……中山より短く感じたかもしんない、うん(正直、皐月賞で勝った……割には評価が今一つだったかなというのは、大西さん自身どんな風に感じてましたか?)
いや別に評価はどうでもいいですよ。……だから、一番、あの……走る前に、それも聞かれたんですけど。まぁ一番人気は、いらないから、一着だけ欲しいと……。思って、ました……―大西直宏
大西騎手はもちろんダービー初制覇。なんとダービーに乗るのはこれが二度目だった。それどころか、生産牧場、調教師、馬主すべてが、大西騎手が前回乗って2着に突っ込んだサニースワロー以来のダービーであった。大西騎手は「みんなダービーは連対率100%なんです」と笑った。
その後
(淀の3000でも今日のように逃げますか?)
逃げます(即答)(これまで大西さんを支えてくれた皆さんに一言お願いします)
今まで、応援ありがとうございました、えぇ。また秋には、えー最終決戦が残ってますので、また、応援よろしくお願いします!―大西直宏
口数も少なく、言葉を選んできた大西騎手が迷いなく放った逃げ宣言。こうしてサニーブライアンは「三冠ももしや?」と言われたのであるが、ダービー直後に骨折が判明。その後、屈腱炎を発症して引退してしまった。結局、その真の強さは分からぬままであった。
白いところの無い鹿毛で、馬体も小さく、見栄えはしなかった。ただ、バランスが良い馬体で、気性も素直。すんなり先行して折り合うレースが出来るこの馬の脚質と、人気馬が後方待機馬に偏っていたこの年のクラシックの状況が嵌っていたということは確かであろう。そしてそこに、誰も知らなかった大西騎手の策謀と度胸と気迫溢れる好騎乗が組み合わさった時、史上稀に見る「人気薄の二冠馬」が誕生したのである。いろんな意味で競馬の恐ろしさと面白さをファンに知らしめたクラシック。この馬が菊花賞に出て「逃げ切ってしまう」ところを見たいと思い、そしてそれが叶わぬと知ったファンの心境たるや……。
この後、大西騎手はその騎乗技術が見直され、ローカルでの騎乗がメインとはいえ大幅に騎乗依頼が増えた。特に福島競馬場でのまくり技術は他の騎手から恐れられたという(大西騎手は実はあまり逃げが得意ではなかったらしい)。この後再びの日本ダービー騎乗はかなわなかったが、カルストンライトオでスプリンターズSを制するなど重賞での勝利も重ね、デビューから1997年までの約20年での勝ち数が200勝程度だったのに対し、1997年から2006年12月の引退までの約10年間で300勝程度を稼いでいた。
サニーブライアンは引退後は種牡馬になり、優秀な勝ち上がり率を記録していたのだが、牝馬の質の関係から大物はついに出ず、2007年に種牡馬を引退。2011年に死亡した。
古馬戦線に進めなかったことで、今なおその強さの評価は分かれるところがある馬であるが、ノーリーズンやヴィクトリーといった人気薄で皐月賞を制した馬がダービーで沈んだり、ダービーを逃げて勝とうとして果たせなかった馬達を見るたび「ああ、やっぱりサニーブライアンって本当に強かったんだな」と思うファンは少なくないはずだ。あれから20年以上の時が経つが、サニーブライアン以降、ダービーを逃げ切った馬は現れていない。
敢然と逃げて二冠を制したその勇姿が忘れられることは無いだろう。
血統表
*ブライアンズタイム Brian's Time 1985 黒鹿毛 |
Roberto 1969 鹿毛 |
Hail to Reason | Turn-to |
Nothirdchance | |||
Bramalea | Nashua | ||
Rarelea | |||
Kelley's Day 1977 鹿毛 |
Graustark | Ribot | |
Flower Bowl | |||
Golden Trail | Hasty Road | ||
Sunny Vale | |||
サニースイフト 1988 鹿毛 FNo.1-l |
*スイフトスワロー 1977 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Homeward Bound | Alycidon | ||
Sabie River | |||
サニーロマン 1974 鹿毛 |
*ファバージ | Princely Gift | |
Spring Offensive | |||
ファイナルクイン | *ファイナルスコア | ||
ツキカワ | |||
競走馬の4代血統表 |
主な産駒
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