左慈(さじ、Zuo Ci、生没年不詳)は、後漢王朝末期の中国にいた人物である。三国志随一のマジカルびっくり方士なのだが、困ったことに史書に登場するれっきとした実在の人物である。字は元放。烏角先生の道号でも呼ばれる。
「温州蜜柑でございます」の話は、だいたいこいつのせいである。
概要
左慈の存在は後述する『後漢書』(中国二十四史のひとつ、正史)や、曹丕や曹植の文献に記されており、少なくとも同名の人物が存在したことは確かなようである。
曹丕や曹植の文献には、曹操が呼び寄せたびっくり人間方士のひとりとして、「廬江の左慈」が登場している。他の方士らと同じく300歳を自称したという。片目が潰れており、また片足が不自由で、青い衣を身につけた見栄えのしない老人の風貌をしていたという。
曹植いわく「左慈は房中術(性交を通じての健康法)に通じている」とある。実演でもしたのであろうか… 曹丕の『典論』によれば、この時呼ばれた左慈ら方士は、曹操に仕える軍吏になったという。左慈の評判は高かったらしく、(去勢しているはずの)宦官までもが左慈に教えを乞おうと訪れたという。
没年不詳ながらも、曹植の著した『弁道論』には「左慈は天寿をまっとうした」という記述がある。曹植の知り得る限りで没したということは、もしかすると実際には後述のようなことはなく、曹家のもとに居続けたのかもしれない。
後漢書
中国二十四史のひとつである『後漢書』には左慈の伝があり、これが左慈のトンデモエピソードの大本になっている。
左慈はある時、司空の位にあった頃の曹操の宴席に招かれた。そこで、
- 曹操が「松江(現在の江蘇省蘇州近郊の川)の魚が食べたいなー」と呟くと、水を張ったお盆からそれを釣り上げる。
- 曹操が「蜀(現在の四川省あたり)の姜維生姜も食べたいなー」と呟くと、ちょっと出てすぐ持って帰ってきた。
- ↑の生姜を取って来ると言った左慈に、曹操「もしできたら、蜀へ買出しに行った使者に反物の追加注文頼んでおいて」という無茶ぶりをすると、後日指示通りの反物がちゃんと納入された。
と、それぞれ遠方の品物を即座に持ってくるというアピールで周囲を驚かせ、曹操は手を叩いて喜んだという。
しかし別のある時、曹操が部下100名ばかりを連れて郊外に繰り出すと、左慈が酒と干し肉を皆に配って喜ばせたが、曹操はこの時素直に喜ばず、むしろどこから持ってきたのかと怪しんだ。そして調べさせると、街中の酒と干し肉がことごとく消えていたというのである。
この所業に怒った曹操は、左慈を捕らえようとするも、左慈は背後の壁にするりと消えてしまった。街中で左慈を見掛けたというので探すものの、市中の人という人がみな左慈の姿に見えてしまう。
今度は山頂で左慈を見掛けたというので探すものの、左慈は羊の群れの中に忽然と姿を消してしまった。これに曹操は使いの者を出し、「殺すつもりではなく、その術を試してみたかっただけだ」と告げさせると、羊の一匹が二足で立ち上がり、「なぜ急にこんなことするのかね」と人語で話しかけてきた。周囲の者はすかさずその羊を捕らえようとするものの、次の瞬間他の羊まで立ちあがって人間の言葉を喋り出し、結局失敗に終わったという。
左慈伝は以上で終わっており、その後については書かれていない。
正史として広く認められている『後漢書』の中にあって際立って胡散臭い話だが、真偽はともかくこういう話が当時語られていたということは確かなのだろう。後述の『神仙伝』のようなトンデモ話集ならともかく、歴史書として作られた『後漢書』にこんな記述があるというのが興味深いところでもある。
その後、左慈は曹操の怒りを買いながらも殺すことができず、しかも奇妙な術でからかったという稀有な人物として、後々民話の中で様々な伝説が付け加えられていくのである。
神仙伝
三国時代も終わった西晋の時代に成立した、仙人やそれに類するような人物の逸話をまとめた『神仙伝』という書物があり、ここにも左慈の話は載っている。『後漢書』と内容の被るものもあれば、似たような話が他の仙人の逸話として載せられていることもあり、また一方で左慈がからかった相手が別人になっている話もある。ここでは劉表や孫策とも面識がある。
かいつまむと、だいたいこんな感じ。
- 密閉された石室に閉じ込められて穀断ち(穀物を食べない)をするが、1年経っても元気。おかげで曹操に危険視される。
- 曹操との宴の席で、熱燗に入れたかんざしが墨のように溶けていった。
- 盃に入った酒に線を引くと、酒はその線で二等分に割れた。片方を飲むよう曹操に勧めたが、とても嫌がられた。
- 盃を投げるとそれが棟にひっかかり、周りがそれを見ているうちに姿を消していた。
- 追われたので羊の群れに飛び込んだら、「殺さないから出てきてくれ」と言われたので、羊の姿のまま立ちあがって「それは本当かい?」と答えた。
- 追手がその羊に飛びかかろうとすると、他の羊も立ち上がって喋り出した。
- 左慈を牢屋にぶち込んだら、牢屋の中にも外にも左慈がいた。
- 市中に引きずり出して処刑しようとしたら、市中が左慈だらけでわけがわからないよ。
- 左慈を斬った!と思ったら藁とか萱とかの束でした。
- 劉表のもとへ出向いたらやっぱり怪訝に思われ、始末しようかと企まれるが、左慈が無限に湧き出る酒と干し肉で兵卒一万人を歓待したら、もうどうでもよくなってしまった。
- 東呉の徐堕という道士のもとを訪れるが、道士の客に門前払いを喰らったので、そいつらの牛車の車軸に茨を巻きつける嫌がらせをして困らせた。
- 孫策に会ったらやっぱり危険視されて殺されそうになるが、孫策がいくら馬で追っても前を歩く左慈に追いつけないので、方術には敵わないと諦めた。
最後は弟子の葛玄に「わしゃ霍山に登って九転丹(仙丹)を作るよ」と言い残して去っていったという。酒と干し肉の話の相手が曹操から劉表に変わっており、また『後漢書』では曹操ばかりが相手であったものを、劉表や孫策まで煙に巻いている。孫策が方士に絡むという点では、『三国志演義』の于吉の話に通じるものがある。
三国志演義
劉備を主人公に、曹操を敵役として描く『三国志演義』において、左慈はやはり曹操をからかいに来る役どころを与えられる。『後漢書』『神仙伝』にあった奇妙な話もしっかり入っており、さらに脚色を加えられている。話の都合上か、劉備に肩入れするような発言をするが、なぜか劉備の手助けそのものは一度もしていない。
ある時、呉の孫権から曹操に対する贈り物として、温州蜜柑を運ぶ役夫たちがいた。重い荷物を苦しそうに運ぶ男のところに現れた左慈は、ひょいと荷物を軽くする術を使い、彼らを助けてやった。程なくして「温州蜜柑でございます」荷物は曹操のもとに届いたが、曹操が蜜柑の皮を剥くと中身は空っぽであった。そこに現れた左慈が蜜柑を剥くと、中からは果汁溢れる果肉が見えるではありませんか。
この奇妙な老人に興味を持った曹操は、左慈に食べきれないほどの食事を用意するが、酒5斗を飲んでも酔わず、羊1頭を平らげてもまだ余裕がある様を見せた。その上で曹操に対して「秘伝の方術書である『遁甲天書』をやるから、劉備に国を譲り、引退して修行しろ」と言い放った。
これに怒った曹操は、左慈を牢に繋ぎ拷問を加えたが、左慈はまったく平気で痛がりもせず、繋がれた鎖も枷も簡単に外してしまい、さらに絶食させても生き生きとしている始末であった。捕らえられている身にも拘らず、曹操の宴席に勝手にもぐりこむや否や、遠方の魚や生姜を出して見せ、盃に入った酒をかんざしで二等分に切り分け、絵に描いた龍から肝を取り出し、さらには張松に馬鹿にされて燃やしたはずの孟徳新書まで取り出すという妖術のオンパレードを繰り広げる。最後には空に投げた盃を鳩に変え、周りがそれを見ているうちに左慈は消えてしまった。
曹操は許チョに左慈を殺すよう追わせたが、てくてく歩いているはずの左慈になぜか追いつくことができない。そのうち左慈は羊の群れの中に入り、そこで姿を消してしまったので、許チョはそこにいる羊を全て斬り殺して帰っていった。許チョが帰った後、羊を斬り殺された牧童が泣いていると左慈が現れ、全ての羊を繋いで生き返らせた。
その話を聞いた曹操は、今度は人相書を配って左慈を捕らえさせるも、何と数百人もの左慈が連れてこられる。これを全部斬首に処すが、斬った首から煙が立ち上り、それが上空で鶴に乗った左慈へと変わり、そのまま飛び去ってしまった。さらに死体が続々と起き上がり、首を持って曹操の元に殺到すると、曹操は昏倒して、以後病の床に就くことになる。
『後漢書』や『神仙伝』に描かれた話が、舞台や相手を変えて使われている。
創作作品における左慈
こんな三国志界きってのファンタジー存在なので、三国志系の創作において、左慈は非現実的な要素を盛り込む際などに非常に便利なキャラクターとなる。もっとも、その手のファンタジー作品だと諸葛亮あたりも現実離れしちゃってるんだけど。
以下、ニコニコで見る機会の多いであろう左慈について、簡単に紹介。
横山光輝三国志
↑ ここで出てきた、この蜜柑を運ぶ道中で左慈が登場する(上の人物はただのモブ文官)。
単行本では36巻、「奇怪な老人」「妖術」の2話に登場する。濡須口の戦いの後に曹操と孫権が講和し、その際に蜜柑を贈るところから話が始まり、ミラクル左慈劇場を展開して魏王のご機嫌と健康を損ねて終わる。三国志演義の流れが忠実に展開されており、特に多数の左慈の死体が踊りながら突っ込んでくる姿は必見。
なお、この左慈の話の後に登場するのが、これまた左慈と同レベルのファンタジー占い師・管輅であったりする。
真・三国無双
真・三國無双シリーズでは4作目に初登場。無双OROCHIにも登場したが、無双5・6ではリストラ、無双7にて再登場を果たす。劉備に肩入れする者だが、所属は他勢力。劉備の徳が次代を担うと考え、裏からその手助けを目論む。
呪符を自在に操り、呪符の束を剣や鞭のように飛ばして敵を薙ぎ払う。方士というキャラクターながらも軽やかに走って跳び回り、また攻撃範囲も戟や槍並みの長さ、真・無双乱舞では全属性が飛び出すなどと、呂布とはまた別方向の最強キャラである。強い、強すぎる。もうあんたが天下統一しちまえよ。
初登場の無双4ではほとんどの武将のシナリオに登場しない隠しキャラだが、曹操や許チョのシナリオに敵として姿を現す。当の左慈シナリオでは黄巾の乱から五丈原の戦いまでの各地に出没し、呂布をぶっ飛ばしたり、曹操を追撃したり、夷陵で孫権を返り討ちにしたりする……手助け?
OROCHIシリーズでは仙界の住人という設定になっている。Zの蜀シナリオでは趙雲の手回しを、2ではリュウ・ハヤブサとともに行動している。
三国志大戦
三国志大戦ではver.1.0の頃から登場していたが、1.5コストながら武力1(1.5コスト帯の標準武力は4~6)、おまけに最も弱い兵種の歩兵と、最低クラスのスペックであった。計略に魅力を見出す人もいないことなかったが、ほとんどのプレイヤーからはそのスペックの悪さとイラストのキモさから使用をためらわれた。あと、なぜか魏軍所属であった。
三国志大戦2になって排出停止になるも、その後の三国志大戦3で群雄勢力所属のSRとして復活を果たした。計略と兵種は以前と同じだが、武力が4と実用範囲になったこと、また武力の高さが光る環境になったことが起因して、三国志大戦3初期には使い勝手のよいパーツとして人気で、流行り過ぎて能力を下方修正されたほどである。
計略は「変化の術」で、戦場にいる最も武力の高い敵を参照して、その武力をそのままコピーするというもの。消費士気が低いながらも効果時間が長めで、超絶強化を軸にしたデッキ相手には強烈なメタカード(対抗カード)となりえた。呂布さん御一行大歓迎。ただし兵種は変わらないので、武力が上がっても突撃や弓射は喰らい放題なところは難点。
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